令和 あくび指南
2024年 3月14日 レッドカーペット
レッドカーペットといえばアカデミー賞に招かれたスターたちがリムジンに載ってあらわれ、その上を観客に祝福されながら颯爽と歩く姿が目に浮かぶ、このようなシーンは俳優を目指す誰もが思う憧れかもしれない。因みに今回第96回アカデミー賞には日本から、すずめの戸締り、君たちはどう生きるか、ゴジラー0.1の三組の映画関係者が招かれた。今回これらの作品の内、君たちはどう生きるかとゴジラー0,1が見事受賞となった。それにしてもそれぞれ強烈なメッセージ性を持つ日本映画だっただけに、この快挙は日本人としてとても誇らしい。
ところで今回7部門で受賞に輝いたオッペンハイマーという作品について私は、内心複雑な思いがしている。というのもこの映画は原水爆の父と呼ばれる人間をテーマに扱った映画だからだ。しかしながら、これは映画という虚構の世界のことであり、映画は娯楽として鑑賞するべきではないかという意見もある。そうは言っても表現とは何を考えれば、たとえ娯楽のための映画であったとしても聴衆はそこから何らかのメッセージを受けっとってしまうに違いない。
これまでも戦争をテーマにした様々な映画がこの賞を受賞してきたし、犯罪者が主人公として描かれた映画もあった。要するに社会的に好ましいことばかりが、アカデミー賞のテーマとして取り上げられていたわけではない。そうだとしても私は核兵器の常態化を認めるような風潮だけは許してはならないと思っている。今更になるが、どのような方法を用いても人間が核兵器をコントロールすることは出来ないにもかかわらず、このような兵器によって広島、長崎を合わせて30万人にも上る命が一瞬にして失われてしまった。しかもこの兵器は敵味方の見境がなく、初めからその選別さえ考慮しないというホロコースト以上の非道さである。このためにアメリカ人も合わせ多くの外国人の命も失われているのだ。つまり核兵器の保有すなわち無差別殺戮と解釈されるべきで、そこに思いも及ばなかったという言い逃れは在り得ないのだ。
確かに噂では日本も戦時中核兵器の開発を行っていたという話を聞いたことがある、それについて歴史学者や元皇族の方々の話によると日本はアメリカに先駆けて原爆の開発に成功していが、その使用を許さなかったのは天皇陛下のご裁断だったと言われている。
恐らくこの映画でもアメリカが日本と核開発を競っていたなどというストーリーにはなっていないだろう。むしろこれまで通りの解釈で核兵器の使用により日本の終戦を早めることが出来たとされているに違いない。このことについて現在の新しい見方では、ドイツが敗北した1945年5月以降、ルーズベルトの後を継いだトルーマン大統領は日本の陸海軍の解体と天皇制護持とによって日本との停戦合意を検討していた。ところがマンハッタン計画を推進したいバーンズ国務長官が登場し、この案から天皇制護持という文言を消し去ってしまったのだ。このため日本は直ちに停戦合意を受け入れることが出来なくなってしまった。要するに原爆が戦争を止めたのではなく、むしろ原爆を完成させたいがために停戦合意には至らなかった可能性も出てくる。結局日本がポツダム宣言を受け入れることが出来たのは天皇陛下が自らのお命も顧みず、さらには皇統の断絶をも厭わず、ただ臣民の無事をお考えになり終戦の詔勅を発布されたからに他ならない。
このようなことを感じる人間は、日本においてこのようなテーマの映画が配信されなかったこを誇らしくさえ感じている。日本には日本人の痛みに寄り添うことが出来る企業がまだ存在しているのだ。