令和 あくび指南
2024年 4月13日 土の人とは?
今日は裏庭の草むしりを行った。とはいっても崖下から伸びる蔦を取り除くには自分では無理なので業者を頼んでの大仕事となった。それにしても、こちらが頼まなくてもどんどん成長する彼ら植物の姿は、一見無言ですべてを受け入れているようでもあるが、それを取り除かなければならない立場に置かれるとまるで手ごわい仇のようでもある。
ところで、去年おがって枯れてしまった草は、そのままにしておくとさらに砕けて泥と混じり合い土になる。そんなボロボロになった草を集めていると、ここには細菌がぎっしり摂りついていて、せっせと草を土に戻しているのだろうということを自分の肌で感じる。結局土に還るとはこのような実体験を通して昔の人は感じていたのだろう。何を言いたいのかといえば、昔の人はこのような目に見えない細菌たちと、今よりずっと仲良しだったということだ。その証拠に今でも日本人の食生活は不思議なくらい細菌と仲がいい。例えば日本の調味料といえば味噌や醤油になるが、共に菌の作用がなければ成り立たない食べ物だ。
そればかりでなく漬物や納豆、お酒に至るまで、日本食には菌の作用が用いられている。ということはそんな芸当をたった一人の個性が創り出せるはずもなく、そこにたどり着くためには、様々な人がそこに関わり時間を経なければ良い結果は得られなかっただろう。要するに、良い結果に至るためには、その味に適した菌を数多の菌からより分け最適な環境を創り出してやって、やっと人の好む味や香りが手に入る。なかでも昔の日本人がこよなく愛した糠漬けは究極の細菌お任せ調理といえる。なにせ細菌だらけの糠床に野菜を突っ込でおくだけで、あとは糠床の細菌がうまみ成分を野菜の中にたっぷりと作ってくれる。まさに漬物は細菌様さまの料理なのだ。このように見るとおそらく日本人は玄米と大豆さえ手に入れることが出来れば、生き残るのにはさほど困らないだろう。
ところが、この土を手放してしまえば、自然から与えられた土に育まれ土に還るという命の循環そのものを失ってしまうのではないだろうか。それほど土は我々人間にたいし命の恵みを惜しげもなく与えてくれる。因みに現代社会で土人という言葉は侮蔑的意味を持つのだそうだが、早速ウェキペディアを調べてみると土人という言葉は律令制度における土着の人間を指すのだそうだ。とはいえ私はこの言葉をもっと積極的な意味で捉えたいと思っている、それはどのようなことかといえば、土人とは土から価値を生み出すことの出来る人という言葉と捉えたいのだ。それは言うまでもなく縄文人とは土をこね土器を用い、土に木を植えその作物によって彼らは命を長らえたというまさに土の人だからだ。