令和 あくび指南
2024年 7月28日 改めて人生とは
何度もテーマにした話題だが、オリンピック開催中ということもあり、今私が思うのは、成果を得ることが人生の目的なのかという問題だ。世の中にはやすやすとその成果を手にすることが出来る人もいれば、逆に手にして当然と思える人でも、なかなか結果を残せないことがある。とくにオリンピックなどはそれぞれ限界までの努力を積み重ねて望む試合だけに何ともやるせない思いがする。
なのでこのような不条理を我々は時の運という言葉で、人間には超えられない壁があるのだと納得させてしまう。ところでこれが人生の目的の全てなのかといえば、もう少し考える余地があるのではないかというのが私の思うところだ。確かにオリンピック選手などは、この成果如何によってその後の生活は天と地ほどの違いがおこる。それは収入面であったり周囲から受ける扱いなど、これを手のひら返しなどと言って片付けることはきわめて難しい。とはいえこの境地はまさに頂点という一握りの者にしか与えられない境遇で、100人の競技であれば99人はその境遇に至ることは出来ない。ではこの99人は無駄な人生を送ったのかという問題になる。
しかしながら、たとえ一度頂点に至った人であっても、その次のことを考えれば、やはり誰もが向き合うべき問題なのではないかと思うのだ。このことで私が常に思っていることは、人生は自己の表現に尽きるのではないかという思いだ。これは特別な作品を造りを生業にすることが目的ではなく、自分を表現するとは、初めに素直な自分の思いに目を向けることだと思っている。その結果その思いを分かち合おうとすれば、作品という形になり言葉になり音楽という表現に繋がるのではないだろうか。何が言いたいかといえば、表現は自分が初めに何を感じているかに目的があり、糧を得ることが目的にはならない。このことが逆転し表現が糧を得ることだけに向かってしまえば、たちまち表現はその命を失い、その結果人生の目的もまた、色あせたものになってしまわないだろうか。