令和 あくび指南
2024年 8月31日 イサクの犠牲
ウェキペディアより
旧約聖書の創世記22章1節にこのエピソードは記されている。預言者アブラハムの妻サライは長く不妊であったが、65歳を過ぎてようやくイサクを授かることが出来た。おそらくこの喜びは何ものにも代えがたい喜びだったろう、ところが、75歳になる父イサクはある日この一人息子を生贄とするよう神の啓示を受ける。そこでイサクはこの言葉に従って我が子に手を掛けようとしたその瞬間、天使がこれを止めに入るという物語だ。
さて一見不条理とも思えるこの物語は、一体何を我々に伝えているのだろうか。この物語で私が真っ先に感じることは神への絶対的な服従ということだろう。それは人間の理性や道義心を超えた絶対的な神のご意志なのである。
ところでアブラハムといえば信仰の父とも呼ばれているが、その子イサクはヤコブ:イスラエルの父である。そして現在アブラハムが神より繁栄を約束された神聖な地において大変な悲劇が繰り返されている。とはいえこれが神の計画などということは決してありえないのだ。それは、すでにアブラハムは神より祝福を受け、その子孫に至るまで永遠の繁栄を約束されているからだ。そしてその祝福はここに暮らすすべての民族にまで及ぶのだといわれている。そうであるならアブラハムが交わされた契約が果たされるためには、彼らはこれまたすでに神から授かっている戒律を当然守られなければならないのではないだろうか。
果たして一度は壊され、更には固い石にまで刻まれた以下の約束は、現在、神の約束を信じる者達によって果たされているといえるのだろうか。
- わたしのほかに神があってはならない。
- あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
- あなたの父母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- 隣人に関して偽証してはならない。
- 隣人の妻を欲してはならない。
- 隣人の財産を欲してはならない。
イサクの犠牲とは、恐らく人間が神の計画を実現しようなどという思い上がりへの警鐘ではないかと私は思っている。