令和 あくび指南
2024年 11月28日 侘び寂び
日本の心といえば侘び寂びと答える方も多い。では何故そうなのかといえば他国ではあまり見られない感性だからだろう。というのもこの言葉にある寂びるという言葉は、まさに滅びゆくものの姿で、これを肯定的に捉えようとする感性は、世界広しと言えども稀なことだろう。とはいえこんなことが日本古来からの感性かといえばそうでは無いだろう、結局この言葉が持て囃されるには千利休による侘茶がなければ、いくら変わった国、日本と言えどもこれほど日本を特徴づける言葉とはなり得なかっただろう。
では千利休以前の日本では、どのような感性が好まれていたかといえば、代表的なところでもののあわれという言葉に行着く。さらにその感性を生み出された背景を探れば、「かんながら」という世の中全てをありのまま受け入れるという神道の考えに行着く。とはいえ、これには古代人のように、人の生き死にに、なんらあがなう術のなかった時代は、これで良しとしても、現代のように科学や医学の発達目覚ましく人の思いで人の寿命がどんどん伸びている現代にあっても、このような感性を捨てきれない民族はやはり稀有な存在としかとらえようがない。つまり世の中は理屈や言葉の定義では表現することは出来ないのではないかということが、日本人の感性ということなのかもしれない。
そこで私は侘び寂びという言葉を俳句で表現しようと試みた。
「侘びてこそ 寂びたる花器に 花はゆる」
「侘び寂びて 今ただ中の 雪景色」
「寒の茶事 我が身一つ 碗一つ」