令和 あくび指南
2024年 12月15日 やんごとなき世界の小説
といえば世界最古の小説源氏物語が思い浮かぶ、しかもこれを記した目的がお上へ献上するために描かれたのだというのだから、当時の人々は現代の我々には受け入れられない倫理観を持っていたと言う事なのだろうか。というのも文学にあまり関心を持たない方が、この小説を読めば文春砲などの世界と区別がつかなくなる可能性はないだろうか。そういう私も大河ドラマで源氏物語が取り上げられると知り、当時はてっきりこれは視聴率無視の企画なのではないかと心配になったほどだ。実際このドラマは、今までとは異なる視聴者獲得に成功しているようだ。
それにしても、実際この小説を献上された帝はこの物語をいたく気に入られたと言う事なので、帝は当時すでにこの小説に文学としての楽しみを見出しておられたと言う事なのだろう。それにしても大河ドラマにもあったがこの物語を読めば、誰が読んでも帝への当てつけのようにとられても仕方がないはずだが、当時の最高権力者でもあった帝はこの小説の価値を見出され、それも良しとされたということは、改めて現代の我々も心にとどめておく必要があるだろう。
それにしても、現代の我々にとってここに描かれている倫理観は、現代の我々とはあまりにもかけ離れた世界のように感じる。とはいえ仮にそうだとしても、源氏物語は現代においても人種の壁を越え世界中で親しまれていることから、私はこの物語には日本人だけの感性に留まらず人類共通の思いが内在しているのではないかと思っている。
さて男女のスキャンダルが公の仕事にまで影響を及ぼす現代だが、私はこのような風潮には正直行き過ぎがあるように感じている。というのも歴史の偉人をそのようなフィルターで排除してしまえば、歴史の教科書など成立しないのではないかと思っているからだ。例えば現在1万円札になった渋沢栄一や日本初の総理大臣伊藤博文などは、彼ら失くして近代日本史は成立できないほど影響力が大きい偉人である。また古事記に登場する神話の世界でも、詳しい意味かは分からないが、大国主命は全国行脚のおり、庶民から「八千鉾」と呼ばれていたという。私は日本文化の奥深さは、このようにあるものは有るものとして受け入れることが、日本神道の「かんながら」の精神に結びつくのではないかと思っている。
そしてそこから生まれいずる、やきもちや嫉妬心であっても人間が贖うことの出来ない「もののあわれ」の世界なのである。