令和 あくび指南
2025年 12月20日 アートかゴミか
アートを志す人間には、このように無情な問いが常に付きまとう。私の周りでもとうとう個人保管が不可能になり多くのアート作品がゴミとしてこの世から姿を消していった。とはいえアート作品には初めから価値というものを期待しない所にアートとしての価値がある、これをかっこよく言えば新たなる価値の創造ということが出来る。とはいえせっかく心血を注いだ作品が世間から全く顧みられないというのは、正直かなりのショックでアートを志す人には、そちらは子連れ狼が彷徨う冥府魔道の世界ですよとでも言いたくなる。
とはいえ今日は、私の愚痴を披露したいのではなく、世の中には価値の衰えない、まるでアートのような扱いの工業製品もあるのだ。それはおもちゃやキャラクターグッズなどTVを見ていると目を疑う価格で取引されていることがあるからだ。中でも自動車などの工業製品は眺めているだけでも楽しくなる。特に最近興味深く思っていたのが、以前は大衆車市場にしか出回っていなかった日本の旧車が、世界の中古車市場で驚く値がついていることだ。特にダットサン240Zなどすでに発売から50年以上は経っているにもかかわらず、この人気が衰えていないどころか、ますます上がっていることに驚いている。
ところがそんな名車を世に輩出してきた日産自動車が、現在経営の危機に直面しているのだという。このことに関して私は以前、売り上げは上がっているのに営業利益が、他の自動車会社に比べ極端に低くなっていることに触れていた。私はこの原因はやはりトップのポリシーにあるのではないかという疑問を呈したことがあるのだが、トップといえば経営に関する手腕も求められるだろうが、その前に自分たちの魅力にポリーシーを持っていなければ、企業の進む方向性は定まらないだろう。つまり自動車のことで言えば、自動車は目的地までの移動手段であり運送手段には違いないが、そればかりではないだろう。例えば、スイスの精密時計のように機械式というこだわりが、所有する喜びや運転そのものに楽しさを与えてくれる。そういう人はエンジンの回転数とトルクやパワーの出方を体感することが喜びとなり、サスペンションやハンドルの切れ具合など感触という合理性では表現できないニュアンスを楽しんだりする。しかも販売から50年以上たった今もその魅力を失っていないというのだから、その価値はまるでアートの世界のようにも感じる。
作日は日産とホンダとの合弁というニュースで株式市場は動いていたばかりだが、ネットでは他国企業がこの買収に名乗りを上げているのだという。このような出来事は以前日本の企業が開発した有機ledが辿った末路を見れば、技術流出が日本経済に及ぼす影響がどれほどのものになるか予想できるだろう。というのも現在世界中で使われスマートフォンはあの技術がなければ成り立たないのである。もしあれによる収益が日本国内で循環していれば、今頃日本社会において社会福祉や年金の財源が問題にはなっていなかっただろう。
もし今回も同じように買収によって自動車産業の技術が他国に移転されるような事に成れば、日本の自動車メーカー全体が市場を失い疲弊することに繋がらないだろうか。というのも自動車業界は白物家電以上に多くの企業が製造に関わっているはずで、これによる技術流出の危険性はさらに高まるのである。