新 思考ラボ
2024年 12月7日 訃報を聞くたびに
思うのは、存在というものの不確かさだ。そういう冷めた心のまま「永久の愛」など聞こうものなら、所詮それは一時の気の迷いだなどと切り捨てたくなるものだ。しかしながら近頃の私が思うのは、一度起きてしまったことはどうあがいて消し去ることが出来ないというものだ。
ただし、この言葉にリアリティーを持たせるためには、そのための前提条件が必要になる。それはそもそも物質とは認識という記憶の断片でしかないと言う事だ。この認識を持てなければ、この言葉もたんなる負け惜しみのようなものになってしまう。ではこの認識を視覚的に理解するとすれば、どのような図になるのだろうか。そもそも認識の記憶とは厚みの無い紙に描かれた絵画のようなものである。それは幾億枚重ね合わせても一瞬の記憶なのである。
「中山の 尾根に見送る 地蔵尊 三保の松原 なきぞわびぬる」