新 思考ラボ
2025年 8月4日 平和を考える
さて、如何に平和な世界を望むか、巷ではこれを論じるだけでも早速、言い争いが起こってしまう。そのような論争を見ていると人類にとって平和を望むと言う事は高望みなのではないかとさえ思ってしまう。
因みに私はどんな些細な言い争いも、国同士の武力衝突であってもその原因を辿れば、根本的な違いは無いと思っているからだ。結局話し合いで解決が見込めなければ、次に起こるのは武力衝突しかない。こうなると、たとえ武力を備えていない集団であっても、暴力での可決しか解決が見込めないのであれば、その先にあるのは更に力の弱い人間や、見ず知らずの全く罪もない人たちが攻撃の対象になる。何を言いたいかといえば、武力衝突を避けるためには、話し合いでの解決を徹底させるしかない。つまり、戦争を避けるために必要なことは、武器を捨てることよりもまず、話し合いを成立させるための環境整備が最も重要と言えるのではないだろうか。
つまり現在の世界情勢から言えば、話し合いのルールとなる国際法が十分機能する環境を整えることだ。要するにあらゆる国にとってこの国際法が公平であり、しまも参加国の国柄を損なわない法律的配慮がひつようで、現在の常任理事国のような特別待遇がある機関にこのような公平性を委ねることは難しいのだ。
それでは、このような話し合いで物事を終わらせる条件を整えるとすればどのような環境が必要になるだろうか。あまりにも単純なことだが、それにはまず相手の主張を正しく理解することが必要になるだろう。というのもこれがなければ、解決の糸口を推し量ることが出来ないからだ。加えて、これにジャッジする場合も、両者が共通の価値観を持っていなければ、ここから妥協点を探ることは出来ない。ようするに平和的解決を望むために必要なことは、相手を理解することと、自分を相手に理解してもらうことでしかない。つまり相手の主張を聞こうともせず、自分の主張だけを大声で喚き散らすのは、平和的解決を望む人たちの態度ではないということだ。残念なことにテレビの討論番組では、このような見苦しい光景がしばしば見受けられ、これが識者と言われる人達の態度かと思うと非常に残念でならない。
さてここまで私が何を言いたかったのかといえば、再軍備の問題と平和解決を望むと言う事は、まったく別の話として考えなければならないと言う事だ。ところが軍備と聞けば、その言葉だけで拒否反応を起こす人たちがいる。とはいえ、国家の成り立ちを考えれば、想定できる脅威に備えることは当然の役目であり、それこそ憲法に保障される国民の人権を守る事に他ならない。それでは軍事力を保有することが何故、日本の平和につながるのかといえば、現状の日本国周辺の動きや世界情勢を見れば、ここでのんびりしている暇はないと考えるのは私だけだろうか。
ところで恐ろしいことに、現在日本はいつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状況にある。というのも現在の日本はNATOと極めて親密な状況にあり、隣国ロシアからすれば現在の日本は敵国として認識されるているはずだ。それではこのような緊張状態から日本が抜け出すな方法はあるのか、といえば、そのために日本は軍事的に独立して日本は軍事的中立を宣言するしかないと思っているのだ。これが可能だと思える根拠は、戦前のタイ王国にある。この東アジアの国は、周囲を列強の植民地に囲まれながら日本同様、植民地支配を免れていた。そしてこれを可能にしていたのが、巧みな外交手腕とタイ王国の地政学的パワーバランスの影響があったからだ。要するにタイ王国は自国を周辺国との緩衝地帯とすることで、周辺国からの軍事的干渉を防いでいたのだ。
私は今日の日本を取り巻く環境とかつてのタイ王国の状態とは何処か似ているように感じている。因みに今回のウクライナ戦争は、軍事的対立の他に、通貨の覇権を争いによる世界を2分する動きも鮮明になってきた。このような状況で日本が、どちらか一方に加担する立場を取れば、この溝はいよいよ深まってしまうに違いない。つまりこのような状況で政府が日本の舵取りを間違えれば、日本がこのような対立構造の最前線になりかねないのだ。
だとすれば、一刻も早くこのような緊張を和らげるために、日米安保というアメリカによる直接軍事介入を遠ざけ、日本は軍事的に独立して、中立国として自国のライフラインを守ることが必要になる。このことによって同時にアジア太平洋における平和維持に日本が直接貢献出来ることになると私は考えている。そうだとすれば、このことを実現させる方法として日本自ら憲法改正し軍事的中立国としての立場を明確にすることが必要になる。つまりこれらを総合的に考えれば、これからの防衛力整備の在り方として、防衛装備品については高度な電子戦に対応できる早期警戒機の増強やアメリカのスターリンクと連携できるセキュリティークリアランスの整備が必要になる。また、離島における継戦能力増強のため、シーレーン防衛に必要な艦船の充実や、沿岸部の防衛設備強化と都市部における防空避難施設の設置、また官民一体となったテロ攻撃に対する対応が求められ、原発や主要インフラに対して防空能力の増強が待ったなしで求められている。ここから考えても、使い道にすら疑問が残る長距離ミサイル配備や無意味な核配備に貴重な予算を割いている暇はないと思うのだ。
平和といえば戦わないということが最も理解しやすい。しかしながら現実の世界では、いつでもどこでも諍いの起こらなかったためしはないのである。要するにこの諍いを如何に、話し合いで終わらせるのかが平和な解決になる。そして、そのために必要なことは相互の理解であり、話し合いで終わらせるための環境整備だ。とはいえこれだけで諍いは無くなるのかといえば、人類の歩みを考えれば、極めて頼りない。だとすれば、これに対応できる備えを整えておくこともまた国として必要な事であり、これにより世界が平和な方行に向かうとすれば、日々平和を願うものに何の躊躇がいるだろうか。