彼岸旅行
イトへの思い
これまで、あまり気にしていなかったが、イトのファッションには少し違和感があった。毛玉の沢山ついた紺色の手編みせーターに、膝あての当たった黒いジャージ生地のパンツをはいていた。いわゆるどこか懐かしいスタイルなのだが。何故そう思うのか今までは、気にも留めていなかったが、私はイトの履いているズボンの膝あてを見て、体中を電気がはするような思いがした。
と同時に、私の顔が真っ赤に火照っているのを感じた、私は懐かしさと恥ずかしさでイトの履いているズボンから目を話すことが出来なかった。突然私の子供の頃の記憶が蘇って、その膝あてにまつわる情景が頭の中で再現されていた。この膝あては、かなり色褪せてはいるがピッキーちゃんのキャラクターが印刷されていてるのがわかった。そのことは、そのズボンが子供の頃、私が履いていたズボンであることを意味していた。そして、その膝あてがもとでおこした子供の頃の恥ずかしい思い出も一緒に思い出させた。
私が子供の頃は、膝あてや継ぎはぎは、貧乏の象徴のようで、だれも好ましく思う人はいなかった。穴の開いた今とは違い衣類などは繕って直すのが身だしなみで、穴の開いたまま外出するなどもってのほかの時代だった。 そんな時代では膝に穴の開いたままのズボンをそのまま子供にはかせることは親にとっても恥ずかしいことなのだ。
母は穴の開いたズボンを膝あてで塞ごうとしたのだが、少しでも子供の気持ちを思って、流行りのキャラクターの膝あてを付けてくれたのだ。ところが、私は繕ったズボンを受け入れることが出来ず、母の留守中トイレに、そのズボンを投げ入れてしまった。
ほどなくそのズボンは叔母に見つかり、回収されてしまったのだが、その後、そのことについて私は母に叱られるでもなく、そのズボンをはいた記憶もなかったので、ズボンはそのまま捨てられてしまったのかもしれない。
この思い出は、いまだに見栄っ張りな自分の恥ずかしい思い出として、胸の奥底に深くしまい込まれていたものだった。私は改めてイトを目で追っていた。目の前のイトって何者なんだろう。考えるまでも無いことなのだが、その答えを受け入れるべきかどうか、私は納得のいく結論が出るまで待つことにした。