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彼岸旅行

2022年8月21日ようこそ,ファンタジー

 

滝壺と祠

 私はいままでのことを考えながら、滝つぼのほうへ近づいた。ところがごうごうと飛沫を上げる滝の音が、その時の私には急に怖く感じて、私は歩みを止めてしまった。確かに辺りは足元が定まらず、歩みを進めづらくしてはいたが、私の歩みを止めているのは、私の心のもっと深いところから忍び寄る恐れのようだ。

 私はしばらくの間、その場に立ち止まって、時折風にあおられて飛んでくる飛沫が顔にかかるのを感じながら、水煙の上に浮かぶ虹を呆然と眺めていた。私はそこだけスポットライトが当たっているように感じて、そこには、私にとって特別重要なものがあることを告げているようだった。

 

気が付くとそれまで感じていた恐れは不思議と消えて、むしろ滝壺のあたりに、私が探していた答えが隠されているような思いが強くなってきた。私は、そのまま滝壺のほうへ向かっていた。

ところでこの滝壺の周りは険しい森に囲まれ、まるで人を寄せ付けない場所のようだったが、近づいてみると滝の周りには人が訪れた形跡があった。たとえば滝つぼの周りには、平らな石が人が歩き易いように置かれていた。さらに滝の裏側を覗いてみると、そこは小さな洞窟のようにえぐられていて、中に入ってみると、一番奥には祠が祀られていた。 しばらくして暗闇に目が慣れて来ると周りには、人手で石が縦に積まれてあったり、壁面には吊るされた千羽鶴が埃に埋もれて時間の流れを物語っていた。どうやらこの場所で修験者が滝行をしていたらしい。

不思議な包み

 よく見ると、祠の周りには修験者が持ち込んだであろうお札が、幾重にも納められていて、ここは修行の場だったことを物語っていた。私はそのお札から少し離れたところに、薄汚れた布の包みを見つけた。普段であればそのような包みに気づいても手で触れることは無いのだが、何故かその時は、どうしても手にしなければならない衝動にかられてその包みを自分の手に取っていた。

私はその包みを手に取った瞬間ピリピリとした痛みがその包みから伝わってきた。

 その包みはずっしりと重かった。中を検めるときれいに磨かれた小石が、ぎっしりと詰まっていて、中には、和紙で包まれた不動明王の護符と何かが書き添えてあった。昭和17年5月27日 祈100日回峰行 そして、包み紙の裏には鉛筆で、昭和17年9月23日と走り書きがされているようだった。そしてその横に書かれてある名前に目をとめて私は、その場にへたり込んでしまった。

 私は、勝手に涙がほほを伝っているのを感じた。そこに書かれてあったのは私の名だった。気が付くと、私は包まれていた小石をひとつづつ数えながらジャケットのポケットに押し込んでいた。石は99粒を数えたところで終わっていた。

満行の日

 この修験者は、あと一日を残して満行には至ることが出来なかったのだ。私は外に飛び出し河原でとびっきり綺麗な小石を探した。それをジャケットの石と合わせて丁度100粒として、元の布に収めた。

 そして、ジャケットとジーンズを脱いだが、腰のあたりを見て思わず噴き出した。用意が良いことに私の腰には、ふんどしが巻かれていた。

 当然私は、ふんどしなど締めたことも無いのだが、すべては夢のなせる業なのか、思えばあの巨大な牛も、太陽のない大空も私の夢、影のできない訳も、虹がありえない様子でかかるのもすべて、私の思いが作り出したことなのだ。そしてこの不思議な旅で出会ったイトこそ子供の頃の私だった。さらにはイトが望んだことは、私が前世で望んでも叶わなかった自分の夢だった。つまりこの旅は、この滝へと私を誘うために起こったことだったのだ。

 

 私は事の次第に納得すると、自分の悲願を成就させるべく滝壺へと向かった。実際そこを歩いてみると人の歩幅に合わせて表面がなめらかな石を巧みに置いてあって、私は石に導かれるように水の中に入った。そのまま肩幅ほどもある石の上に立つと、そこにはちょうど良い水流の滝が落ちていた。

 私は当たり前のように手刀を切って、九字を唱え終わると、不動明王の真言を唱えながら滝に打たれた。すると突然この修験者の最後の様子が、ハッキリと頭に浮かんできた。

 

 その日は修験者にとって100日行を終える最後の滝行であった。ところが前の日からの台風で増水した川には泥や小石の他に危険な流木が紛れこんでいた。当然警戒しなければならないことであったが、私の気持ちはあと1日という思いですっかり浮足立っていたのだ。何しろここまで来るために修行を支えてくれた人たちの顔を思い出すと是が非でも満行を達成したかった。

 

 はたして私が滝に身を投じた途端、流木が私の頭を打ち砕いた。私は瞼に浮かんだ真っ赤な閃光と共にその場に倒れた。その時の私には体を失う痛みより、たった1日を残して満行に至らなかったことへの無念が勝っていた。

顧みればこれが、私の修行に対する思いの限界がそこにあった。私の思いは完全に自分を見失っていたのだ。

私は、自分の無念の思いが、この瞬間ようやく果たされたことを感じた。私はこの旅を夢の中で起こった出来事と感じているが、結局この旅で、もう一度本当の自分と向き合うことが出来たのかもしれない。言い換えればこの旅は自分に帰る旅だったのではないだろうか。

そう思うと私はこれでやっと救われた気がしてきた。そしていま私の心は完全な充足感で満たされている。

できればしばらくこの充足感に浸っていたいと思った。それほど心の中は晴れがましく、心の中に恐れや罪の意識を思わせるような一点の曇りも見つけることは出来なかった。私は自然に顔がほころぶのを感じた。

と次の瞬間、枕もとで耳の痛い目覚ましの電子音がきこえた。

 

ようこそ,ファンタジー

Posted by makotoazuma