思考ラボ
2023年 10月27日 神聖イブラハム連邦共和国
年寄りが暇を持て余すといろいろ妄想が激しくなる。とはいえ最近配信される戦争の情報は胸が痛くなる。いったい何時になったら人類はこのような悲劇から抜け出すことが出来るのだろうか。
ところで最近起こったイスラエルの戦争はこれまで起こった戦争の中でも最も救いようのない思いをしているのは私だけだろうか。何故かといえば、この地は世界人口の6割に上る信者を持つ一神教が生まれた聖地だからだ。それにも拘らず第2次世界大戦以降もこの地での争いが絶えたことはない。
これらの宗教が持つ大きな特徴は彼らの信仰する神は世界を創造した唯一の神であり、全く同じ名前の神を信仰していることだ。もう一つにはその神が人間と契約を交わしたとされるところで、日本人にとって神との契約という概念は結構なじみが薄い。ところが北欧の神話などでは彼らの最高神が巨人族との約束を果たすために自分の片目を巨人族に差し出したとされ、契約が果たされない場合は神々の世界であっても終焉を迎えてしまうのだ。
さて戦争の絶えないこの地において平和を願うことはまさに神事のように感じる。例えば戦争解決のために創設されたはずの国際連合もその機能を失っているようである。とはいえ現状のまま仮に停戦協定が結ばれたとしても、それほど長く平和が訪れるとも思えないのだ。
そこで何らかの解決策を考えるとすれば、かなり大胆な取り組みが必要に思える。因みに誰もが感じるところだと思うが、この戦争の背景には宗教による対立の構造がある。ざっくりいうとユダヤ教とイスラム教の対立にG6のキリスト教がユダヤ教の後押しをしているという構図だ。確かにニュースから子供や女性の被害が伝えられるとすぐに反撃や報復をすべきだという考えが頭に浮かんでくるが、このような悲劇の報復は歴史的に見ても平和的解決をもたらすことはなかった。結果から言えば平和をもたらすためにはどちらかが滅びるか、戦況の優位な方にその代償を支払うことによってのみ平和はもたらされてきた。このように考えると戦争というもののリスクは計り知れない。つまり戦争になる前に、戦争を回避することを優先させなければ、戦争に負けた国民は領土を失うか、長きにわたり厳しい代償を負うことになってしまうからだ。
そこで、この戦争の根本にある宗教という側面にスポットをあてて考えてみると。やはり、イスラエルの領土をこのままにして解決することは不可能に思える。何故かといえば先般トランプ大統領が結んだアブラハム合意にそのヒントがある。それはユダヤ教の預言者アブラハムと神との契約に約束の地はエジプト川からユーフラテス川までと記されているからだ。こうなると信仰心の深いユダヤ人ほど現在のイスラエル国の領土に不満を持つ可能性があるからだ。とはいえ聖書にはユダヤ人だけがその地に住むことになるとは書かれていない。創世記15章「すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、 ヘテびと、ペリジびと、レパイムびと、 アモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える」(末日聖徒イエスキリスト協会から引用)つまり最後にある地を与えるという言葉は大地のことであってその場にいる住民を排除せよとは書かれていない、つまり同じ土地での共存を意味する言葉と受け取れるのだ。
さてこのような神との契約が果たされるとすれば、アブラハムによる約束の地として「神聖イブラハム連邦共和国」の建国は出来ないだろうか、これは現在のイラク、レバノン、シリア、イスラエルを州として神が示されたアブラハムの契約を実現するものだ。つまり信仰の始まりであるユダヤ教のアルファとオメガであるイスラム教国の融合で、聖なる地で聖なる契約が果たされることを意味する。
そしてその聖なるその国においては神とモーセの契約は必ず守られなければならない。何故ならこの契約が果たされなければ、そのために人類は大いなる災いを受けることになるからだ。「汝殺すなかれ」とモーセの十戒には書かれているが、戒律を無視することは神との約束を無視することに他ならない。
※マタイ15-17 わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。