思考ラボ
2023年 11/27 人格者の正体
「喰ってくそして寝て起きてさてその後は、死ぬるばかりよ」と言ったのは、有名な臨済宗の高僧一休さんだ。なんだか身も蓋もない話で、まるで生きることへの皮肉のようにも聞こえるが、私は一休さんが本気でこのことに向き合っておられたのだと思っている。そのことは、一休さんの数ある奇行の中でも、経文に自分の糞便を包んで寺に届けさせたとか、弟子たちの暖を取るために本尊を焚火にくべたとか、仏教を伝える僧侶としてはあるまじき行為にも受け取れるが、いったいこの行為が何を意味することなのか、私はそこに煩悩の本質が隠れているのではないかと思っている。
要するに煩悩とは生命の本質的な営みから離れることで生じる諸悪の根源なのである。つまり「喰ってくそして寝て起きてさてその後は、死ぬるばかりよ」という生きることの本質に照らしてみれば、世間の良識や、過去の功績、地位や名誉という世間の評価であってもそれは単なる妄想でしかないと言われているようだ。
因みに昔から世間では芸能人がちょっとしたことで躓くと、まるで手のひらを返したように傷心の芸能人を根ほり葉ほり叩きまくる、しかもご丁寧にこれまで我々庶民が受けてきた喜びの記憶にまで遡って無いことにしようとする。このような悲しい行為は結局絶対的な人格というものを信じようとする妄想なのではないか。
このことをサルトルの実存主義とでもいえば、いくらかお上品に聞こえるのかもしれない。とはいえ、いくら達観した日本の高僧でも、例えがあまりにも汚らしいのでは、などと愚痴っているようではまだまだだ 喝っ!