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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

歌から現れた真実

昨日は阿部敏郎氏の呼びかけるイベントに参加していた。内容は沖縄にある首里城の弁天堂に弁財天像を祀るためのイベントで、その為に10:04の秋分点にかけて弁財天像建立実現のた祈りをささげるという内容だ。もちろん念力で像を出現させるということではなく、心を一つにして浄財を集めようという企画なのだが、この企画は天河神社の大宮司がずっと願って来たことらしい。その意を汲んで天川村在住の阿部敏郎氏が取り組んだのだが、沖縄でもすでに、地元の歴史家がこのことに取り組んでおられた。

そもそも近年火災にあって復興された首里城には戦前から弁財天が祀られ、そこには天河神社を基点とする弁財天像が祀られていたそうだ。その姿は頭に白蛇を載せ八本の手を持つ姿であらわされる。ところが戦火にあった首里城の弁天堂が復興できてもそこにご神体が祀られる事はなかった。何故かと言えば理由は公表されていないそうだ。本土復帰50年を迎える沖縄ではあるが、不思議とこちらを盛大に祝うイベントも全国的にあまり聞こえてこない。今話題の朝ドラ「ちむどんどん」もここが強調されると思いきや、あまりにも雑な時代考証に製作者の企画意図すら伝わらないという全国的には残念な結果になっている。

話を戻すと天河神社の大宮司柿坂氏の説明によれば、このことによって北海道の弁財天から沖縄首里城までを結ぶ日本列島縦断のラインが完成され、竜神の化身とも言われる弁財天のエネルギーがさらに強まるそうだ。オカルトに聞こえるかもしれないが、私はこの世界が不思議なエネルギーに導かれていることを感じている。だからそのイベントに参加してみたのだ。

さてイベントが終盤になり、出演者の締めとなるコメントを纏める段でハプニングは起きた。それは、まさに弁財天像の姿をどのような姿で納めるべきかの問題に始まる。先ほど述べた通り天河のご神体は手が8本あり、それぞれ仏具である武器を携えているので、沖縄も同じ姿の像を設置するのだと思われる。ところが、沖縄を代表されるアーティスト喜納昌吉さんの意見は違っていた。沖縄に祀られる像であれば、沖縄独自の像が望ましいという意見だ。この意見に対して阿部氏にはすでに柿坂大宮司から新しいご神体の提案を試みていたがかみ合わない。あわやというところで司会のさとうみつろう氏が仲裁に入った。佐藤氏は2柱の荒魂がぶつかり合う間に挟まれるという悪夢に近いご経験をされた。

このことは、それぞれの立場で背中にしょっているもののことを考えると簡単に話を収めることが出来ないことによる。つまりどちらも背中に正義をしょってしまったために起こったことだ。この間視聴者はかなりの緊張をされたのではないだろうか。

結局行き着く先も望むことも同じなのに、何故か現実はこのようなハプニングを生んでしまう。このことはこの世界に仕組まれた宿命的なトリガーのようにも感じてしまった。しかもこのようなことはまったく珍しい事でもなく、宗祖と言われるほどの高僧が仏教界の狭い教義の中で、論争を繰り返すということが歴史にも刻まれている。

そのように考えると、諍いのない平和な世界とは人間が手にすることのできない不可能なことのように感じてしまう。つくづく悪魔は正義という言葉が好きなのだと思うのだが、その一方で昨日のイベントでもう一つ感じることがあった。それはGINKOさんという女性が歌う沖縄民謡に、以前紹介したアイヌをリスペクトしたバンド「ニンチュプ」の歌声がオーバーラップしてきたからだ。その歌声を聞いていると、あのニンチュプの歌の表現が重なってアイヌの歌と沖縄の歌がとても近い存在のように感じることができた。そのことによってアイヌと沖縄人は縄文人に近い民族と言われてきたことを再認識したのだ。

さらにいえば日本人の遺伝子は北海道から沖縄まで、ほぼ同じ特殊な遺伝子だそうだ。つまり血のつながりから見ても日本人は北海道から沖縄まで交わって暮らしていたということだ。縄文の暮らしの中には王宮も漢字もない、ましてやオキナンチュウもヤマトンチュウもない平和な生活を日本列島で繋いできたはずだ。そこには虐殺も言論を封じ込めることも無かったのだ。私はこのイベントにそのような恐ろしいことが起こらないよう願いを込めて参加した。

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Posted by makotoazuma