2022年 オマージュ・アンフォルメル
WW2以降に生まれたアンフォルメル運動は一気に美術の世界を飲み込んだ。形を否定した絵画とは、いったいそこから何が生まれてくるのか。私はこれこそアートが行き着く禅の世界だと思っている。形と言っているのは意味づけされた形態のことで、象形という捉え方も出来ると思う。
鑑賞者の目の前に置かれた作品は支持体や絵具そのものだ、そこから何をくみ取るかは全く鑑賞者にゆだねられている。そこには製作者の意図すら入り込むことを拒まれる、なのでこの手の表現には、とてもそっけないタイトルが多い、例えばWORK***とかコンポジション**などまるで化学記号のようだ。
では、私が自分の作品を表現するとすれば、作品とは自分の心を自由に遊ばせるための公園と考えている。なので作品に描かれた線や色面は、ブランコや滑り台のようなもので、作品の価値は鑑賞者の好き嫌いで決まると思っている。
ところで、このような表現の作品は制作者にとって、一つ大きな問題がある。何かといえばオリジナリティーを表現づらいのだ、形を表現しないということは核心に近づく方法には違いのだが、その表現にはすぐに限界が来る。結局どの作品を見ても似たようなものばかりとなってしまうのだ。そうなると作家はコンセプトや制作過程に多様性を求めることになるのだが、それもまた限界があって、まるで金鉱堀のような切なさがある。
このような状況から、私は絵面の表現に作品の価値を置くのではなく、その作品を通していかに鑑賞が、それぞれの真実に誘うきっかけとすることが出来るかに製作の動機を置いている。それがENizm運動だ。アートは我々を真実に対峙する動機となる、私はそこを目指したいと思っている。