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2022年 メディテーション 自分を手放す

gallery,ようこそ絵画 無意識

無我の境地とは何か、昔からよく聞く言葉で分かっているようでわかっていない言葉だ。ところで絵など描いていると急に筆が止まって、絵が進まなくなることがある。原因は自分というものに表現が飲み込まれてしまっていることが多い。では自分とは何かといわれれば、一般的に自我と答えるはずだ。

つまりこの自我を本当の自分だとすることが、自分に囚われるということなのだが、極論を言ってしまうと一般的に、自分などという言葉は他人の目に映った自分のことを、自分のすべてと混同してしまっているのではないかということだ。

嘘だと思ったら自分というものを言葉で表現してみてほしい。社会的肩書であったり社会貢献の実績であったり、または、他人と比べての機能であったり、すべてが他人を基準とした比較で自分は表現されている。つまり、自分の中にないものによって自分を表現しようとしているのではないかというものだ。

このことを絵画の話に戻して話を進めてみると、この絵は良いのか悪いのかという評価をする場合に、この描き方は誰それの表現に似ているとか表現が古典的だとか、誰にも理解されないとか、これらは全て他人の視点であって自分の判断ではない。自分のものではない判断を、自分の中に探そうと思っても見つからないのは当たり前のことではないだろうか。

自分を手放すというのは、間違った自分の思い込みを手放すことで自分の肉体を手放すことではない。むしろ自分本来の感性を研ぎ澄ましていくことで、本来の自分に立ち返ることが出来る。そこから発露する表現こそ、私オリジナルの表現と言えるのではないだろうか。