デッサン教室 画伯からの脱出
いよいよデッサン
最後のアイテム 線
画伯からの脱出というサブタイトルを付けましたが、子供の絵ってよく見ると共通点があるんです。何も自由自在に絵を表現しているわけではないのです。実は描きたくても描けないので、どうしてもこうなるんですね。何故そうなるのかといえば、それは思い込みがそうさせるんです。でもその思い込みから抜け出そうとしてもなかなか出来ないのです。早速ですが、あなたは手のひらを描いてくださいと言われました。どの様に描きますか。ほとんどの方は指が五本ある形を想像したと思います。なぜか手を水平にして指を見えない形で描こうとはしないはずです。何故でしょうか人間って本来、楽な方を選択していくはずなのに、指は5本見えるように描きたがるんです。では、馬を描いてくださいと言われると正面から見ても真上から見ても足が四本ないと落ち着かないんです。それが思い込みで、指は5本、馬の脚は4本この言葉がどうしても外れない、こうなると目の前の対象がどう見えるか関係ないのでそう見えなくても描いちゃう。それを見た第3者は自分にはそのように視えてないので、どうしてこうなったって思いますよね。これが画伯の誕生です。素直に対象を視える通り描こうとすれば間違ってもこうならない、なぜか人間は思い込みに引きずられ目の前に起こっていることを受け入れられない。しかもそれは子供のころから始まっています。多分自我ってものが出来てくると同時にこうなってくるのだと思います。ようは自我を手放してありのままを受け入れることそれが出来ると自分の理想の絵を表現することができるのではないかと考えます。それではどの様にするとよいのかといえば頭の中を真っ白にして目に見えるままを描いてゆく、機械的に淡々と線を引くことです。絵をほめる時、写真みたいですねって表現があります。しばらくはそこを目指して淡々と行きましょう。なんか絵の話なのか瞑想の話なのか微妙になってきました。やっぱ2次元パスってグラグラしてきませんか、私は皆さんをグラグラさせたいんですよ。もとい今日のキーワードは目の前のことを素直に受け入れるです。皆様のご健勝を祈ります。ありがとうございました。
手のひらを横から描いてみました。想像以上にムズイ!線の角度がシビアで間違うと何を描いたかわからなくなってしまう。実際やってみると思い込みで対象から外れる場合と、絵を意思疎通のツールとして使わなければならない場合があることに気づきました。つまり象形としてなんですがご参考までにお知らせいたします。