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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2021年 9月17日 正直に生きる

さて何の事やら、嘘をつかない生活なんてことはありません。平和に暮らすためには嘘も方便です。今日お伝えしたかったのは自分の思いに対して自分は正直に生きているかどうかです。顔で笑って心で泣いて昔はそれが美徳のように言われていました。

「それのどこが悪いんだ」ということですが、悪いとまでは言いませんがその目線で生きるとあなたの存在は無くなります。「なおさら結構じゃないか、自我がなくなるということでしょ」これは話が入り組んできました。それならとことんややこしくしましょう。世の中こういうの好きな方が結構いらっしゃいます。私も含めての話です。では自我は何故悪いのか、いかがでしょう。ここでの自我とは個体としての自分という認識です。そのようなものが現象世界で存在しているという思いですが、そのようなものが時間の移ろいと共に生じては滅するという感覚がこの現象世界に自我を成立させています。

これが私であれば東誠の世界です。さて皆さんが今生きていると感じているのは名前の付いた自分のことではなくもっと普遍的な存在です。困ったことにこの存在は年を取りません。いつもあの時のまま無限に自分なんです。

ところが先ほど紹介した東誠の世界は、幾多の試練のおかげで白髪頭の生物としてはそろそろ終わりが見えている存在です。生まれては滅するというストーリーでは結論の部分を生きています。

整理するとこの文章で自分という認識には、二つの目線があるということです。一つ目は名前の付いたストーリを生きる自分と、今ここに存在していると感じる自分です。困ったことにこのストーリーがなかなか辛いことです、なんでこうなるのかと考えあぐねます。ゲーム好きの方はご存じの通り、一つのストーリーをクリアーするたびに次のストーリーは難易度を増す仕組みです。いつまでも終わりが有りません。

ストーリーの世界を抜ける

問題はここを手放そうとするかしないかの選択でストーリーを生きる自分がどの選択をするのか好みの問題です。もし、このストーリを抜けようとするならば、名前の付いた自分は常にある存在を意識しなければなりません。年を取らない、いつもの自分のことです。

抜け出ると言ってもこれだけのことです何の仕掛けもいりません。この画面を観ている瞬間のあなたは無限に存在している存在でどこにいようと関係ありません。たとえ別の星にいたとしても同じことです。

話をテーマに戻すとストーリーの中のあなたはあらゆる方法で、この存在という自分に気づかないように目隠しされています。一番わかりやすいのが、自分を他人目線でとらえようとすることです。此の他人目線もゲームのキャラです。ゲームのキャラ同士がお互いを認識しあうということですから、ゲームから足を洗うどころの騒ぎではありません。

テーマにある正直に生きるとは、無限の存在である自分に対して正直に生きるということです。決して他人さまから正直者と思われましょうと言っているのではありません。常に自分の心から湧いてくる思いを正直に受取ることです。そのことが無限の存在である自分に向き合う一歩と考えています。

自分目線で存在を捉える

つまり存在という自分目線を持たなければ、現象世界での自我を俯瞰して捉えることが出来ないのです。正直に生きるというのは、存在としての自分に対し正直でなければならないということです。もしここで自分目線を手放したとすると自我はいったいどのような目線でとらえることになるのか簡単に言えば自分という存在を離れて他人目線で自我を捉えていては自我を形成する現象世界から抜け出すことはないということです。それはゼロ×ゼロの世界だからです。