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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 2月26日 国譲り

ある国の神話です。ある日、神の国を治めるアマテラスが、それまで大変な苦労をして地上を治めてきた大国主にアマテラスの一族に地上を返すよう告げます。当然武力衝突になってもおかしくない場面ですが、史実は話し合いで決まってしまいます。史実と言ったのは、神代の世界のお話なのですが、出雲からとてつもない大きさの神殿の跡が見つかったことから、史実で間違いないと言えるようになりました。

それがどんな遺跡かといえば直径1.4メートルもある木の柱を3本、鉄の輪で束ね、1本が直径3メートルの柱を持ち、柱の大きさから社殿の高さを推定すると48メートルにもなるそうです。紀元4世紀頃に木造で建てられた巨大建築ですが。社殿に懸かる重量から柱の強度まで計算出来ていたということなのでしょう。この遺跡が発見されるまでは古事記の記述を疑う場面もあったのですが、この発見から事態は変わりました。

実は大国主側から国を譲るにあたっての条件に、出雲に巨大な社殿を建設することと、10月には全国からすべての神を集め祭祀を行うことなどもありました。なので出雲以外10月は神無月、出雲は神在月になります。

大国主はこのような神殿を自分たちのために建てさせ祭ることで自分たちの尊厳を現在まで保っています。つまり当時の約束が今でも受け継がれているということです。また、このブログに絵本として載せた因幡の白兎という物語は、神である大国主の尊厳を我々に伝える重要なお話です。

では、これ以後の日本人はどうであったのかといえば、近代の話では徳川慶喜の大政奉還であり、昭和天皇のポツダム宣言受諾です。

とくに、昭和天皇の場合は自分の命が保証されていない中での決断でした。どれほど厳しい環境で、自分の命も顧みない決断をされたのかということです。このように神代の時代から日本人はお互いの立場を尊重しながら、お互いの妥協点を探ろうとしてきました。どちらかがどちらかに服従することではなく、お互いの利益を最大限享受できるよう話し合いをしてきたんです。

一頃、日本の常識は世界の非常識などと揶揄され、自分たちのアイデンティティに疑いの目を向けていた時代もありました。ところがむしろ日本人は神代の時代からお互いの利益を尊重しあい共存の道をさぐることのできる、賢い民族だとはいえないでしょうか。