独立自尊 奥の細道
奥の細道 序文について
この投稿は学問的な素養のない人間の極めて私的な文章です。特に学生の方は注意が必要です。正解は教科書にあります。とはいえそれが正解だとしてもしっくりこないという方には、驚く解釈が次々登場しますので楽しんでいただける文章かも知れません。できればこれを機会に奥の細道という日本文学の宝を様々な見識をもって味わう一助になればという思いでおります。
さて以前は、俳句を絵画として表現することにこの投稿の目的がありました。ところがいざ始めてみるとその俳句が何を表現しているのかさえ理解できませんでした。そこで奥の細道にある文章や曽良の日記なども参考にその句に込められた思いに近づこうというのがこの投稿の目的になりました。
そのような解釈に立てば、やはりこの有名なプロローグの重要性は高く、避けては通れません。
私も小学校の頃この文章を読んで暗記を試みた記憶があります。ところが、その時から私はこの文章に違和感を感じていました。なかでも違和感を感じる所は舟の上に生涯を浮かべという文章で、さらに唐突に思えるのは渡し舟や馬子の表現です。昔は今より旅には付きものの職業だったということもありますが、最後の集大成となる奥の細道にわざわざ採用する必要があったのでしょうか。
その答えを見つけるとすれば、この文章を芭蕉のあこがれる西行の生い立ちに重ねてみると、このような比喩も理解できそうです。というのも西行法師は徳大寺家との繋がりがあり日蓮宗からの影響も強く感じられます、このことから一乗の舟をイメージさせる舟の上に生涯を浮かべという表現、そして衆生を仏門に導く姿を馬子とい表現を用いて表していたのではないでしょうか。またこのような西行の生い立ちから、後に奥の細道に登場する藤原、佐藤、源氏などの繋がりも見えてきます。さてこの俳句の解釈は次回に譲り、巻末に登場する表八句を庵の柱に掛け置くとはどのような意味でしょうか。
私はこの意味は芭蕉の詠んだ八つの句を杉風の庵の柱に掛け置いたと解釈していましたが、不思議なことに残りの7句が見つかっていません。では失くしてしまったのか、それもないでしょう芭蕉は当時すでに神の如くあった人でその遺品をめぐって騒ぎになるほどの方です。
ではどうしてしまったのか、私の答えは初めからそれは無かったというものです。というのもこの当時世の中に俳句というものは存在していません。あったのは俳諧という言葉遊びに近い集まりです。俳諧とは歌を繋いで楽しむ遊びで、連歌の会と言った方が分かり易いと思います。
この会で詠まれた歌は、紙に書いて残されますが、この紙は懐紙と言われ大ぶりの半紙のようなものです。そして俳諧では必ず宗匠から歌を記していきます。つまり表八句とは八つの俳句があったのではなく、俳諧の初めとなる宗匠の句を懐紙にしたため、柱に掛けて置いたということではないでしょうか。さてこうなると次に誰が歌を記すことになるのか、場合によってはこのことで蕉風一門の序列が決まってしまうことになります。
奥の細道にはわざわざ杉風の別墅とありますので、杉風の別墅に掛けてあったたのであれば当然杉風の句が残されていいはずです。そんなものがあれば、これは蕉門のお墨付きになるはずで、これほど有難いものはなく簡単に無くなるはずはないでしょう。では引っ越し前の芭蕉庵にそれはあったのでしょうか、それどころかこれがあったという噂すらないのです。因みにこのころ杉山杉風は、同門の嵐雪と揉めていたそうです、このことを芭蕉は知り杉風を諫めていたそうです。
つまり奥の細道出発前にこの序文があったとすれば、蕉門ではかなり波風が立っていた可能性があります。
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以下これまでの文章
まったく計画性のない投稿で面食らう方も多いと思いますが、独立自尊の所以です。ところで芭蕉の句を味わうためにはこの序文も大切なところだと投稿の後気づきました。実はこの投稿を終えた後芭蕉のプロフィールを覗いてみたのですが、実はそこで大変興味深い事実を知りました。
なんと芭蕉は禅僧だったということです。しかも悟りを得たほどの方でした。仏頂禅師という臨済宗の老師について学ばれたそうですが悟りを得たことを認められたということなのでしょう、
なるほどものの見方が尋常ではないのはこのような理由によるのかもしれません。そこでそのような目線で奥の細道の序文を見返してみました。
最初の月日はの始まり方もいきなり時間を主語に文章が始まります。つまり、人生の捉え方ではなく時間そのものに対しての捉え方です。ここで時間は過ぎ去る存在だと言っています。当たり前のことのように思いますが、さらにまたこれから訪れる未来も旅人という比喩を使って。いずれ過ぎ去る留まることがない存在としています。つまり時間というものは未来も過去も過ぎ去ってはおこる、実体のない存在だと真っ先に伝えています。
ところで問題は次の文章、「舟の上に生涯を浮かべ馬の口をとらへて老いを迎ふる者は日々旅にして旅を栖とす」この文章は芭蕉が禅僧の目線で奥の細道を完成させた証拠ではないかと思っています。皆さんご存じの通り仏教を舟に例えて大乗、小乗と表現することが有ります。つまり舟の上に生涯を浮かべとは仏道の世界に暮らす人、馬の口をとらへてとは馬子のことではなく仏の世界に引導を渡す立場の人間を例えているのではないでしょうか。このように芭蕉の持つ視点とは悟りへの確信と高僧へのオマージュを重ね合わせているように感じます。