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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

象潟と汐越

今回は正直、ほぼ空想のお話になります。というのも必要な情報源が見つかりませんでした。それでは勝手に作ってしまおうということで書いております。

まず芭蕉一行は出羽三山の湯殿山を下りて山形県鶴岡市にしばらくの間留まります。湯殿山を出てから数えると湯本を旅立つまで約20日間ほどで、その間も休みなく地元の俳諧師を尋ね俳諧興行を行い、俳句の取材や名所旧跡を尋ねています。

また、以前お世話になった俳諧師とも再開したりと忙しい毎日ですが、どうした訳かお天気に恵まれません晴れの日を数えると晴れの日は、20日間のうち後半の10日ほどです、その間は湿気と暑さから、早々体調を崩し途中で、俳諧を切り上げることもあったようです。

さて、この20日間で4首の句が奥の細道に掲載されますが、この4首の句をどの順番で紹介しようか最初に悩むところです。詠まれた順番という考えもありますが、私は分かり易さが一番と考えました。

また、一番気になっていたのが涼しいという語の扱いです。前回まで何とか切り抜けたつもりでいましたが今回は情報源にたどり着くことが出来ませんでした。では以上をご承知の上、私のトンデモ解釈をお読みください。

私が最初に紹介させて頂く句として選んだのが

象潟や雨に西施が合歓の花

という句です。象潟(さきがた)は湾の中に沢山の島があって西日本の松島と詠われるほどの景勝地です。そこで詠まれた句ということなのですが、私にとってはかなり色っぽい句に思えました。以前俳諧師鈴木清風のところを尋ねたおり、芭蕉が詠んだ「眉掃きを」の句を思い起こします。

さてこの句にある西施とは紀元前5世紀ごろの中国で、越の国王が呉の国王を滅ぼすために送った4人の美女の一人です。あまりの美しさに呉の国王が政治を顧みなくなるように越の国王が画策したものです。国を亡ぼすほどの美人ということです。例えが凄すぎます。

もう一つ気になる言葉は、ねむの木です。ねむの木は夜になると葉が閉じる不思議な木ですが、古来より夜に葉が合わさることから男女の契りを思わせる象徴として使われてきました。「昼は咲き夜は恋ひ寝るねぶの花君のみ見めやワケさへに見よ」という万葉集にある和歌ですが、紀郎女が大伴家持に贈った歌です、お互い気の置けない歌人同士でなければ出来ない微妙なやり取りですが、芭蕉も鈴木清風とはこのような仲だったのではないでしょうか。

この鈴木清風のところに世話になった時のもう一つの句に「這出でよ」の句があります、この句も閉ざしてしまった芭蕉の恋心を詠った句ではないかという解釈をしました。清風は芭蕉にこのような気を使ったのではないかということなのですが、結局芭蕉とは化粧を落として時を過ごせる仲になっていたのではないかというほぼ、邪推です。

ということはお互い心が通じる仲になってしまったということなのですが、ここから妄想は加速します。芭蕉がこの女性を気に入ったことがわかると、清風は遊女を請出してしまいます。そして自由になった女性に清風は芭蕉に付き添うよう唆します。もちろん遊女の気持ちを尋ねてからのことだと思いますが、女性にも強い気持ちがあったのだと思います。折角ですから、ここからこの女性の名を「鶴」と呼びます。

さて、芭蕉から鶴岡到着の知らせが届いた清風は象潟で祭りがあることを知って、そこに鶴を向かわせます。

芭蕉はこの計らいをうけてこの句を詠ったではないかと思います。そのようにこの句を詠むと不幸な身の上の西施と鶴の境遇が重なります。

汐越や鶴脛ぬれて海涼しき

芭蕉は6月16日に汐越の宿に泊まりますが、曾良の日記に象潟権現のお祭りで女性客が来たので向屋に宿を移したと有ります。また、雨に濡れて着物を脱いで干したともありますので、恐らく鶴も着物を乾かすために半襦袢姿になり膝が見えていたのではないでしょうか。この時期に象潟で野生の鶴がいる様子もありませんので、恐らく芭蕉は何かにヒントを得て句を詠んだと思われますが、実際どのような光景を目にしていたのか想像するしかありません。

因みに西施という女性の唯一のウイークポイントは大根足で、常に着物の裾で隠すようにしていたそうです。そのようなこと言って芭蕉は鶴の機嫌を取っていたのではないいかと実にけしからん妄想です。

さて、この句にある涼しきという言葉についてですが、正直今回は降参です。そこで私の妄想を根拠にしてお話すると鈴木清風は義経を最後まで守った家来の子孫です。その流れから義経への回向になったと考えました。