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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

旅の首途

この句も不思議な句ですなぜ足駄を拝むのか、それが夏山とどう関係があるのか分かりません。

この句を詠まれたところが役行者(えんのぎょうじゃ)ゆかりの、修験堂光明寺だそうです。私は初め、お堂の中に役行者ゆかりの下駄でも飾られていたのではないかと思いました。丁度巨大な天狗の面や高下駄などそのようなものを拝んで旅の安全を祈願したのではないかと思ったんですが、ネットでは、そのようなゆかりの物について見つけることは出来ませんでした。

そこでいつもの、私の妄想が始まりました。その時の芭蕉は旅の安全を祈願するために、修験者の元祖、役行者にゆかりのあるこの寺を訪れました。やっと寺にはたどり着いたのですがそこには先客がいるようでした。

先客とは夏籠りのため夏山に篭ろうと大挙して訪れていた修験者の集団です。修験者たちは身支度を整えるため、下駄を脱いで本堂に上がり込んでいたところへ芭蕉が鉢合わせした格好です。本堂の上り口には幾重にも下駄が並び、それを見た芭蕉はお堂に入ることをあきらめ、まるで修験者の下駄を拝みに来たかのようにその場で頭を垂れるとそのまま立ち去ったのではないか、夏山籠もりの修験者とお互いの首途を讃えながらというものです。

で今突然、頭に浮かんできたのが別の解釈、これからの夏山で修験道を彼らの下駄が忙しなく行きかうのを拝むことになるだろう、今日はその首途だ。というものです。

話は変わりますが、芭蕉は禅僧だと仮定してお話を進めてきましたが、修験者と僧はどのように違うのでしょうか、私の理解は僧は仏法を伝える人、修験者の求めるところは老荘の神仙思想が近いのではと思います。本場中国で両者には対立があったようですが、日本に来るとなぜか仲良く共存しているようです。そういやヒンズー教なども見事に日本の神様と融合して祭られているようですが、国土は狭いのに懐の広さは宇宙規模という日本だからこその奇跡だと思います。

そして今日初めて登場の役行者(えんのぎょうじゃ)といえば、昔NHKで南総里見八犬伝という人形劇が有りましたが、役行者は主人公のハ犬士を陰ながら助け、悪役玉梓の怨霊と戦います。まるでドラゴンボールのようなストーリーですが江戸時代の滝沢馬琴が作った空想物語です。その役行者は修験者の里奈良の吉野や天河神社ともゆかりのあるありがたい方です。