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2022年 「一如にある」

2022年6月25日gallery,ようこそ無意識 禅

アートを志す者にとって、個性の表現は絶対必要条件と言えます。少なくとも19世紀以降のアーティストは、この表現のために個性的な絵面だったり、斬新なプロセスだったり、表現のプロセスに遡って探求を深めてきました。つまり、アーティストの存在意義は個性にあるというものです。

ところで、今朝ほどお世話になっている座禅サンガの向井老師から自他一如という言葉を教えて頂きました。いつまでたっても争いの絶えない世の中に対するメッセージなのでしょう、存在という立場に立てばすべては自他の区別もなくただ一つとして存在しているというように受け取りました。

という頷きと同時に、全てが一つであるということは、私が表現しようとしている世界とは矛盾が起こらないか、心配になりここでもう一度、私の表現に対する思いを整理したくなりました。

まずは、この一如という言葉は老荘思想から仏教に取り入れられた思想だそうです。大道・TAOと呼ばれるものです。存在のすべてはここに在ります。では、個人や個性といえばこれも当然すべての世界に含まれるのですが、私たちはどうしても個人の目を通してすべての世界を眺めようとします。参考

このように個人の目線ですべての世界を眺めると、もしも個人の目線が無くなれば、存在のすべても認識できなくなると思ってしまいます。これでは私たちが大変な孤独感を持つのも無理からぬことです。

なので、このような孤立感から解放されるためには、「日頃から「一如の存在」つまり「いまここの」世界に触れましょう」ということで瞑想や座禅を生活の中に取り入れています。

では個性を表現することとの矛盾についてですが、私の表現についていえば、モチーフやテーマ自体が無意識世界の表現であり一如の世界を表現をしたいという思いです。そこには先ほど個性の追求とは対立が起こることを述べましたが、私の場合は個性を表現しようというよりは、なにやら勝手に浮かび上がってくることに表現を委ねようと思っています。つまり一如の世界から勝手に湧き上がってくるイメージです。

私に出来ることは筆の向くまま、絵の具の向くまま、これが良いのか悪いのかすべては一如の私が決めています。