2022年 日頃を生きる
今日は朝から雨が降っていて、おまけに体が縮こまるほど寒い、6月を迎えて汗ばむ日が続いてきたというのに、すっかり裏切られた気持ちになる。
実はこのあたりの寒さを北海道ではリラ冷えと言って、毎年のことなのだ。そんな日常の変化をリラの花が咲く頃に急に寒さが訪れるためにリラ冷えと呼んでいるのだが、花の名前が付くとなんだか急に趣を感じてしまう。
そこで、また心の俳句が浮かんできた。残念ながら私はダジャレを思いつくと口に出さずにはいられない、おっさんそのものなのだから仕方がないのだ。 「梅雨のバス肩をすぼめて傘まるめ」
先ほどこの絵を眺めていたら、急に通勤バスの光景が浮かんできた。これまで何度も雨の日に公共の交通機関を利用してきたが、濡れた傘をどうしようかいつも心配になる。結局どうにかなっていたのだが、心配というのは懲りないものらしい。
さて、この絵のタイトルは、私が日常に対する思いだ。暑くなったり寒くなったり、日々の変化は日常という言葉のくくりで片付けられてはいないだろうか、日常は常に生まれ変わっていてその在り様は人知を超えているのだ。つまり日々を丁寧に受け入れることがその人知を超えた存在に触れるということだと思う。