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今日は好日Vol.2

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2022年 12月25日 平和を守るために

確かにお互い武器を持たなければ戦争は起こらないのかもしれない。ただ日本の周りに武器を持たない国はどこにもない。むしろ武器を振りかざして悪びれるそぶりもない。ところが日本には、このような状況がまったく視界に入らない方もおられるのだ。私には危険なサインが出ているようにしか思えないのだが、世間はいたって冷静である。というのも、庶民の目や耳となるべきマスメディアが伝える情報は、恩義がある人のお葬式や他人のお布施には大騒ぎするが、国民がミサイルの的になっていても、そのことについて何の抵抗も、解決策に言及しようともしない無関心さである。

問題はこのような無関心が、日本中に蔓延していくことが問題なのである。いずれJアラートが鳴っても国民は何の反応も示さなくなるのではないか心配だ。私はこのような国民の無関心を恐れている、なぜなら歴史を振り返ると武力に対し抵抗を放棄したものの末路はとても悲しいからだ。ほとんどの場合はジェノサイトや言論統制にあっても何の抵抗もできない状況になるからだ。 ようするに家畜のような生き方が平和的な生き方と言えるのかもしれない。それは私にとってとても残念な生き方に思える。できれば一度きりの人生であれば、自分の思いで生き方を全うしたいと思うのだ。 さて、現在の日本の在り方は憲法に示される通り、戦力を持たず戦争による解決や威嚇まで放棄するとなっている。ところが同じ憲法の解釈によると、自衛権まで放棄してはいないので自衛隊の武装は問題ないとなっている。さらに、この度の閣議決定によって先制攻撃を含む反撃もオッケイという解釈がでてしまうそうだ。こんなことがまかり通ってしまっては、法治国家としてこの国は体を成しているといえるのだろうか、いったいこの憲法は何語で書かれた文章なのか、私は驚いてしまうのである。 これでは国民が遵守すべき現憲法はいかなる解釈でもまかり通り、結局憲法自体をを軽んじる風潮が世の中に定着してきはしないだろうか。

このような状況を放置しながら、自分は護憲だと騒ぐことは、単に憲法の実効性を失わせ、憲法の形骸化を進める行為に他ならない。 結局このように世界のセオリーでは理解し得ない憲法によって日本の平和は、守られていることになっている。 ところが実際は、日米安全保障条約によるアメリカの軍事力によって安心を得ているだけなのだ。これが本当の平和というものなのだろうか。この機会に改めてこの条約について考えてみると、この条約では日本が攻撃された場合、アメリカは身を挺して日本を守ることになるが、交戦権を放棄した日本は、アメリカ軍を守るための軍事行動はとれないという驚くべき不平等条約なのだ。これについては法整備により集団的自衛権をある程度、行使できるようになったが、有事になれば当然想定外の状況に至る可能性が出てくる。このような泥縄法整備をいつまでも続けていては、自衛隊にとっても国民にとっても大きな付けになるに違いない。 このような対処はますます国民から法の理解を遠ざけるものになる。つまり専門家以外、誰も法律の中身が理解できないという危険な状態が生まれてくる、このような弊害は、年金制度やインボイス制度などの法制にも見られることなので、庶民は警戒した方がいい。

以上のことから、憲法の存在意義を守るためにも、憲法9条への記載について「日本国は国防軍により国民の生命財産の安全を守る、また国民はこれに協力する義務を負う」とするべきだ。あわせて緊急事態の対応や軍として必要な軍法の整備を速やかに整えるのが順当ではないだろうか。とは言えいきなり日本が軍事力を持つというのは周辺国にとって穏やかなことではない、それによる周辺国との摩擦を避けるため、日本はサンフランシスコ条約に定められた領土以外の侵略は行わないこと、これに伴い我が国はいかなる軍事同盟にも加盟しない中立の立場を維持することを宣言してはどうだろうか、ただし日本のライフラインであるシーレーンについては航海の安全を図るため、シーレーンのかかる経済水域において保有国との協力を可能とするというものだ。 さて今回、問題になった防衛大綱について、このような中立的な立場から防衛を考えれば、その防衛に必要になる装備は自ずとハッキリしてくる。つまり装備に必要な予算も国民に対しハッキリ提示することが出来るはずだ。 例えば大陸間弾道弾などの攻撃に対しては、どのような対応が必要だろうか、残念ながらこれまでのミサイルによる迎撃態勢は、今のところどの国においても限界があって万全とは言えない。

これに対し政府は反撃力という先制攻撃を含む対応を考慮しトマホークの導入を進めるようだが、これはかなり危険な戦術になる。 これによる対応には、かなりの確率で過剰な報復や戦線の拡大を引き起こす可能性があるからだ。中東で行われたこの兵器の攻撃は、相手が同等の武器を保有していないために遂行できた攻撃ではないだろうか、ところが日本の周りは核保有国であり、大陸間弾道弾を保有する国々だ。ここに先制攻撃を行った場合、相手国から報復がないはずがない、しかも相手国が正確に軍事施設だけを攻撃してくれるなどと都合よくいくのだろうか、そんなことはありえないのである。まかり間違って日本が目標を外して市民を攻撃してしまったら、それこそ子々孫々まで市民虐殺の汚名を着せられることになるだろう。このような危険がスタンドオフという戦術には含まれているということなのだ。

つまりこの反撃力という戦術は果てしない戦火の拡大につながる可能性がある。同時に長距離射程のスタンドオフ思想は日本全国に発射台を展開させることが可能なため、日本全土を標的にされても反論できないことになるのだ。私は紛争を最小限に治めるためには、このような国同士の総力戦にエスカレートしかねない防衛装備はむしろ国防の害になると思っている。 私は防衛力整備については、あくまでも相手国戦力の無力化に特化すべきだと思っている。これについて現在開発中のレーザー砲やレールガンなどの実用化に期待が持たれる。今のところ実用化の問題点として膨大な電力供給が必要になるそうだが、艦艇での使用には問題があっても、陸上に固定された施設であれば電力供給に対する問題は解決できるのではないだろうか。もしこのような固定された防衛設備を導入するとすれば、施設の建設には、やはり相応のお金や人員配備が必要になる。これほど緊迫した状況での予算配分であれば、効果の期待できない装備に予算を振り向ける余裕はない。現在防衛省は離島の整備を進めているようだが、ぜひこのような装備にも対応できる施設を検討してほしい。 いろいろ勝手なことを書いてしまったが、国防は直接我々国民の生命にかかわることになる、先の大戦の結果、日本国は社会的にも、精神的にも大きなダメージを受けた、それは今になっても日本人の生活に暗い影を落としている。過去の選択が現在の環境を創っているからだ、あの時ああしておけばという言葉は歴史では許されない、私はこの状況にありながら、無言で時を過ごすことは、私の最も大きな後悔になるのではないかと思っているのだ。