今日は好日Vol.2
2022年 12月26日 日本を支える農業
いよいよ年の瀬ということで、クリスマスやお正月など世の中楽しい雰囲気に包まれている。とは言えそれを陰で支える人たちは忙しい、社会とはそういうものなのだが、これまで経済や税金のことなど思いつくまま投稿してきた。 余計なことをしていると思いながらも、世の中には普段気が付かないようなことも同時に存在している。日本の裏側で今も戦火に震える人を見るのは辛いことだが、現在の日本でも空腹を抱える人が多くいる。実はこの戦争によって世界中で食糧が不足しているという話を聞くのだが、日本も例外ではないそうだ。 とは言え、その食料を生産する農家は後継者不足で、農業に携わる50%がすでに70歳を超す高齢者となっているのだ。しかもその従事者は年間5万人ずつ減っているそうだ。それでは、もっと農業従事者を増やせばいいと簡単にはいかない理由がある。なぜなら現在日本の農家約百万件のうち1000万円以上売り上げるところは全体の13%ほどしかない、しかも1000万円以上というのは利益ではないのだ。利益はここからさらに仕入れと人件費税金が引かれることになる。そのうえ土地を借りれば地代、ローンを組めば借金となる。サラリーマンの暮らしも大変だが農家の暮らしもそうとう大変だといえる。 これではこれから農業に従事しようとか子供に跡を継がせたいと思えるだろうかという話なのだ。これではよほどの覚悟した人しか農業に従事しようなどとは思えないだろう。 では国という視点で農業を考えると農業は国民の命を直接支えるものといえる。これまでは簡単に足りない食料は海外から輸入すればいいという発想だったが、今起こっている戦争の状況を見ると1つの港を封鎖されただけで、大量の小麦輸出は簡単に止められてしまった。つまりライフラインを他国に依存するというのは一歩間違えば国中で餓死者を出してしまうほど危険性をはらんでいることなのだ。このような悲惨な事態を招かないためにも国民の主食となる穀物は特別な視点で見なければならない。 これまで続いた政治のように規制緩和が正義という風潮は、この際改めた方がいい、規制緩和のおかげでどこの地方に行っても同じようなデザインの店が並ぶ街並みになってしまったのだが、このままでは農業と共に地方の文化も風前の灯火のように感じる。 何を言いたいかといえば、農業などの1次残業が地方の生活を支え、地方の文化を育んできた国はその集合体なのである。つまり、農業がその国の文化を支えるという当たり前のことが、いつの間にかお金集めが国を支えることという誤った考えに陥いってしまったということだ。 この様にまずは農業と地方の在り方をそこに暮らす住人の方に意識してもらう必要がある。そこで震災時の訓練も想定し地方で収穫された作物を使った炊き出しを行ってみてはどうだろうか、きっと生産者と消費者の交流がそこを通して生まれてくるのではないだろうか、このような交流は日本の農業に対し国民の関心を向けることが出来るチャンスではないだろうか。まして今日のように貧困と言われる世帯が増えている状況では、子供たちに強いられる忍耐は想像を絶しいているものと思われる。なにせお金はご飯を炊いてくれないのだ。このような取り組みによって安全な食品を国民に提供できれば大切な命の健康を守ることにもなるのではないか。 また主要作物の生産に関しては新しく農業に従事しようとする人たちに対し政府主導のファンドを作ってはどうだろうか。そのためにはその地方で農業のアドバイザーとなる人たちの知恵も必要になる地域の活性化にもつながらないだろうか、安全な食品を生産する農業の育成は国の安全を守る一丁目一番地だ。