G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 11月18日 勘違いを喜ぶ

今日は会合の時間を2時間も間違え慌ててしまった。2時間も時間を持て余した末、私が取った行動は何故か八幡様のお参りだった。とはいえ昨晩は風がうるさくて眠れないほどの悪天候で、天気も朝からどんより曇っている。こんな天気に神社を訪れても、さぞや寂しい思いになるのではと思いながらも、私は八幡さんの階段を上った。この神社の境内には剣道の道場が併設され参道を上ると竹刀のビシビシ当たる音や稽古に励む子供たちの奇声が辺りに響いてきた。こんな溌溂とした声に出会うと、通りすがりの私まで元気をもらっているような気になってくる。

私は参道の枯葉に行く秋を惜しみつつ、その階段を上るたびあたりに漂う杉の香に心が清められる思いがした。さていよいよ本殿まであと一歩のところに手水場がある、普段はここに幾つもの柄杓が並べられているのだが、今日の手水場には交互に一本づつ柄杓があるだけだ。さらによく見ると今日は手水の勢いがいつもより強いようだ。私は口を漱ごうとして手水鉢を覗くと何故か違和感を感じた。というのも、手水鉢の水が泡で濁っているように見えるのだ。それはまるで、気の抜けたシャンパンを上から覗くようだ。私はそのままじっと水の中を覗いていると違和感の原因が分かった。なんと手水鉢に張っていた薄氷が沈んで、薄氷に閉じ込められていた泡がまるでシャンパンのように見えていたのだ。そこで一句

「手水鉢 厳しき寒さの あと沈め」

 

いよいよ境内に上がるとそこは、華やかな春の景色とは違い、静かで詫びた景色にも関わらず、あらためて息をのむ美しさだった。

ところで今日は偶然にも七五三で、境内には着飾った子供が儀式に向かうところだった。そしてお参りをすました子供たちが風車と千歳飴を手に本殿から出てきた。あたりには雪の季節を告げる雪虫と風車に付けられた鈴が楽しそうに響いていた。そこで一句

「雪虫と 鈴音が舞って 七五三」

今日はさらに私を嬉しくさせてくれることが続いた。なんと、毎年10月には営業を終える「がまんうどん」のキッチンカーが、まだ営業していて、寒空にもかかわらず私はこの誘惑に勝てなかった。そしてささやかなこのうどんは今日も私の期待を裏切らなかった。つるつるとした喉越しと北海道人にはなじみの薄いあご出汁しの香りが、私が日常に出会ううどんと一線を隔しているために、このうどんは私を非日常の世界へと誘っていく。

さて私は本殿にお参りをすますと、次に祀られている鶴岡稲荷も参拝させてもらった。私はまたそこでも不思議な出会いをしてしまった。

これは鶴岡稲荷の拝殿に下がる鈴なのだが、その裂け目を辿っていくとハートマークになっている。これは宮司の好みというよりは昔から鈴を創る時はこのような形にするものらしい。そして帰りに出会った杉の幹にもなんとかわいらしいハートマークが、私はすでにこういうものを見つけて喜ぶ年でもないが、やはり自然と顔が綻んでくる。

「木枯らしも 心にありて 神の道」

「地に落ちて 常世にねまる 枯葉かな」