今日は好日Vol.2
2023年 1月11日 軍事アナリストが反論しない訳
私はあの防衛大綱が閣議決定されても、なぜ反撃能力が抑止力に繋がるのか疑問だった。しかも反撃とは先制攻撃も考慮されているそうなのでますます混乱してくる。この解説については大陸間弾道弾の迎撃については、発射後そのスピードが最も遅い状態が発射間もなくのミサイルで撃墜しやすいとされていることから、その状態のミサイルを打ち落とすべきだという、かなり昔からあった迎撃思想によるものと思われる。ところが、これを可能だと考えられていたのは、宇宙ロケットのような巨大なミサイルを発射基地から打った場合のことだ。 相手国もそんなことは当然されたくないので現在はトレーラーに乗せてミサイルは自由に移動できる。むしろ、そうであることを軍事パレードで誇示しているはずなのだ。このようなことは、何の肩書を持たない一般人でも興味があれば常識の範囲なのである。ところが一部の軍事アナリストを除いてこの反撃能力はむしろ歓迎されているように感じている。 それは何故だろうか、なんでもいいから軍事力を見せつけるのが抑止力と考えているのだろうか、そういえばトマホークの弾頭は簡単に挿げ替えることが出来るはずだ、通常の破壊力だけで考えれば実に時代遅れの陳腐な兵器なのだが、こっそりもっと強力な弾頭に挿げ替えることも可能なはずである。垂直発射のできる潜水艦には他国のミサイルも拝借することが予定されているようなので、うっかり核弾頭を積んでしまうこともあり得る訳だ。確かにそのような考え方をすると日本はひそかに最終的な抑止力を保有することが出来そうだ。 とこれほど物騒な展開も想定できる反撃能力なのだが、もっと不思議なことは、周辺国の対応も何故か穏やかに見えることだ。もしこれが首相の靖国参拝であったとしたら、とんでもない外交問題になっていたはずだ、おそらく海外の大使館まで影響が出る騒ぎになったはずなのである。ところが、このことで大使館が呼び出されたり不買運動が起こっている様子は今のところない。まかり間違えば日本のミサイルが自分の国に落とされる可能性が出てきても不快感を示すだけに留まっているのだ。 このような事実から見ても情報は、国家間だけの対立だけでは説明のつかない動きを見せている。つまり国同士の利害関係だけでは説明のつかない力によって伝えられているように感じるのだ。その力は正義という言葉の裏に隠れている。あるいは平和やエコロジーの中にも潜んでいるのかもしれない。その力は熱いヒロイズムが好きだ。とは言え彼らがそれを身にまとうことはない、それを身に着けるのは、いつも彼らが住む楽園とは対極にある人たちなのだ。今日は川柳を思いついた、苦笑してほしい。 「赤ずきん フォーク握って 熊脅す」