今日は好日Vol.2
2023年 1月15日 次世代への責任
終わりが近づくと、自分は次の世代に何を残すべきか考えるものだ、いわゆる終活というものなのか遺産がある方にとっては大切なことだと思う。最近のニュースを見ると有名人の方が急になくなられているのを見ると他人ごとではないと思う。 遺産のない私にとっての心配は、自分の描いた絵の始末をどうするかということだ。実際自分の描いた絵によほどの価値がない限り、絵は分別不能のゴミでしかない。という悲しい現実を目の前にして始めたのがこのブログだ、結果についてはまだ向き合える状態ではない、仕方がないので体力の許す限り抵抗を続けようと思っている。 ところで日本の首相は増税についての理解を求めたいとワシントンからのスタンドオフ会見をされた。今の我々は次世代に付けを廻してはならないとのことらしい。当然国を代表しての弁なので未来への付けとは国債のことを指す。この状況を例えると海外のブランドショップで買い物した支払いは、クレジットではなく今いる国民のお財布から直接支払いましょうと言っている。とはいえ、はたしてこのお買い物を国民が望んでいたかどうかは置いといて、とりあえずそれが買い物をさせて頂いた国民のとるべき姿ではないかと仰っているのだ。お客様としては大変立派な振舞で、日本を代表するお買い物客の姿としては立派な態度である。しかしながら私はこの行為が日本や世界の未来にとって深刻な事態をもたらすことになりはしないかと心を痛めているのだ。何を心配しているのかは首相の歴訪先から想像してほしい。 さて国民の付けに、話を戻して、国債発行は次世代への借金だという考えについて考えてみたい、国債といえば日本は、1200兆円という国債残高を持っている。この額を一般家庭のように家の収入から考えると、新たな借金は考えづらいというわけだ。 ところでそもそもお金は何処から生まれてくるものだろうか、そう考えるとお金は、意外と微妙な世界から生まれてくる。突き詰めていくとお金は国民が生み出した価値を金融機関が信用として認めるかどうかにかかっている。そしてその信用を最終的に陰で支えているのが株式会社である日本銀行だ。実はこれについての回答を日銀は行動で示している。これは日銀の国債購入4.6兆円という数字に表れているのだが、一体日銀が何をしたかといえば、市中に出回っている国債を金融緩和の一環として買い上げたのだ。この瞬間、国民が保有していた国債という国の負債は、この世から消えてしまったということになる。しかも買い上げられた4兆円という額はおよそ2%の消費税を引き上げた効果と同じ値になるのだ。 私が次世代にとっての責任と感じるのは、このような不条理を見過ごすことだ。世界のGDPは毎年上がり続けているにもかかわらずなぜ世界から貧困はなくならないのか、毎年世界中から代表が集まって握手をしているのに、何故ぜ世界から争いはなくならないのか、間違ったループに陥っているのであれば人類は立ち止まって見直すべきだろう滅びの世界を迎える前に。