今日は好日Vol.2
2023年 1月20日 少子化問題
副総裁のコメントはいつも熱い、今回は前回のコメントよりもさらに誤解を招かないよう工夫がされていた。そこから窺えるのは、自分の考えに間違いがないという強い思いだ。確かに原因の一部はそこにあると思うが、問題は政府の少子化対策とその分析に整合性はあるのかという疑問だ。 副総裁のブレないコメントを見ると少子化の原因は、女性の社会進出に問題があるといっているように受け取れる、つまり男が稼いで女が家庭を守るという懐古的姿なのだが、この姿を追い求めることは、すでにお伽噺を語るようなものかもしれない。時代が求めているのはサザエさんより孤独のグルメの時代なのだ。とは言え黄昏ているばかりでは仕方がない。とりあえず実行可能な政策を自分なりに考えてみると、海外がすでに着手している奨学金について考えてみてはどうだろうか、現在のところめでたく大学を卒業して就職しても、現実は低い初任給と奨学金の返済が始まる。 彼らに生活を謳歌している余裕はないのだ、この状況は夫婦で同じ生計になるとさらに厳しい現実が待っている。どちらか一方の収入だけで二人分の奨学金返済は可能であろうか、このことも晩婚化の大きな要因になってはいないだろうか、とはいえ単純な借金棒引きは社会的に不公平感を払拭できないので、奨学金の返済期限を延ばし、その間の金利について政府の支援を行ってはどうだろうか。 政府の考える一時金の給付も少子化対策かも知れないが、根本的に雇用と収入を安定させることが必要だと思える。昔から人は家族をもって一人前というとらえ方があったが、生物としてのプライドは自分で餌を確保できることにあるからだ。それが出来てこそ一人前の自覚がおこり、次の命につなげようとする潜在的なモチベーションになるはずだ。補助金に頼る子育ては希望の持てる子育てにはならないのではないだろうか。 いずれにしろこの問題は個人の嗜好を超えた問題である、このことには昔から社会的に取り組まれていたことであり、今では人権問題と騒がれかねないような風習によって支えられてきたのである。なにしろ私が若かりし頃は婚期が迫ると世間がほっておくことがなかった。奥手な人もこの流れに押されて夫婦になった例は少なくないはずだ。とはいえ当時の若者が置かれていた環境は、世間という世界に自分を投じることによって開かれていた。 ところで話を戻すと、人口増加について出生率の減少は続いたままだが、同時に何らかの理由で、この世に誕生を迎えることが出来なかった命もこの世界にはある。その数は、毎年14万件以上の数に及ぶそうだ、その理由はいろいろあるかもしれないが、経済的な理由によって生まれることが出来なかった命も多くあるのではないだろうか、私はそのような命に対して目を向けることができないものかと思っている。場合によっては社会で支えるという方法も取れるのではないだろうか、現在シングルマザー等を支える支援は主に生活保護を中心にした支援がある。そんなお金の支援は行き渡っても、母親が勤めに出ることは育児の時間的制約が付きまとう、また保護者が病気になった場合はどうなるのか、このような場合に対して24時間育児支援できる施設が必要になるのではないだろうか。 少子化対策はお金を支給するだけでは永続的な支援とはならない。日本全体の取り組みであるからだ、さらに言えば地域の経済や文化にも配慮が望まれることなのだ。つまりこのような取り組みを、お金のある地域だけに先行させてはいけない、なぜならこのことで人口の一極集中がさらに加速してしまっては、地方創生を推進する流れに反するからだ。 人口を増やすということは、新たな人格をこの世界に生み出すことだ。尊厳のある人格という意識に立てば、お金のやり繰りだけを議論して済む問題ではない、社会の在り様を我々が模索して新しく生まれる日本人にプライドとして受け継いでもらうこと、それがプライドを持っ自立した人格をこの世界に迎い入れることでもある。このプライドこそ我々の希望と言えるものなのだ。人口が減ったからと言って外国人を働かせて安心できるというものではないのである。