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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 1月26日 議論を重ねるとどうなる?

昔はよくTVの討論番組を朝まで視ていることがあった、ところが慣れてくると、いくら議論を重ねていても回答は出ないということが分かってきた。このような番組は多様な主張に気づくための場に過ぎない、ということに気づいてからは穏やかに番組を眺めることが出来るようになった。ところがそうなってしまうと議論に対する興味も次第に薄らいでしまった。結局いつまで番組を眺めても何の結果も得ることが出来ないことに、かえって無力感を募らせてしまうからだ。 ところで最近このような議論の動画から気づくことがあった、なぜこのように議論が荒れてしまうかについてなのだ。この気づきとは、質問者が投げかけた質問に対し、回答者が全く見当違いの回答を返されると、議論は荒れてしまうということだ。 動画では回答者がご丁寧に相手の質問内容を最初に繰り返していながら、結局合理性のない論理によって無理やり持論に持ち込もうとする場面があった。この場合、質問者は予め合理的な筋道を立てて議論を展開しようと思っていても、的外れな回答で合理性という議論の土台が崩されてしまうと、それ以降の議論はとたんに意味を失ってゆく。つまり合理性というお互いに共有できる価値観を持つことが出来なくなるからだ。 このような回答はディベートのようなゲームの世界では有効なテクニックなのかも知れない。とはいえディベートではルールに則った判定が最後に下されるゲームだ。通常の議論の場にはこのような勝ち負けのルールはない。 それは、そもそも議論には目的があって、その目的に対し最良の結果が議論に求められるからだ。このような場合の目的は相手の意見を打ち負かすというよりは、共通の目的に即した建設的で合理性のある意見を述べることが必要となるからだ。このようなことを腹に据えて返答をするとなれば、誠意をもち誤解のない回答を用意しなければならないだろう。 ところで、このような議論がもし国会で起こっていたとしたらどうだろうか、質問する議員のモチベーションは下がる一方ではないだろうか。国会こそ国費を盛大に掛けて行われる政である。しかもここで議論される議題の重要性は国民の生命を左右する重大事項ばかりなのだ、時間の無駄や議論の停滞が起こらないように議長は質問の回答に対して注意を払ってほしい、質問に対し的を外した回答があれば積極的に注意を促してほしいと思うのだ。なぜなら今の社会情勢はそれほど危機的で判断を一歩間違えば、どれほど悲しい結果に見舞われるのか想像もつかないことになる。戦時にある国の様子を見るにつけ、国のトップに託された判断は重いと思われる、彼らの判断には常に国民の命運がかかっているからだ。簡単に諦めるわけにはいかない。