今日は好日Vol.2
2023年 3月25日 自信の持てない日本人
貴方はこれが同じ動物ですと書かれた書物を子供に与えるでしょうか。
ウェキペディアより
ではこの写真は右左、全く別物ですという説明は納得できるでしょうか。
この写真は右が自衛艦で左がアメリカの軍艦です。今日本の認識は自衛艦は武装ではないので平和が武装なしで保たれていると言っています。悪い冗談のようですが、冗談でも皮肉でもありません。ではなぜこんなでたらめが許されるのでしょうか、これが平和憲法を守るというでたらめから起こっています。恐ろしいことに、このデタラメ憲法によって日本国の在り様が決められています。子供に与える絵本や図鑑ではありません、この憲法によって日本人の生命や人権、民主主義の制度などが決められているものです。
はたしてこんなウソパチを公に受け入れていながら子供の教育や誇りなど持てるはずがありません。
では何故これほど現実離れした憲法を我々日本人は持つことになったのか、それは日本の敗戦にあります。この憲法は確かに日本の国会において採択されてはいますが、草案はすでにヤルタ会談の時から終戦後の日本について話し合われていたようです。実際ポツダム宣言で終戦の条件とされたのが日本軍の解散です。ところがその条件が憲法に盛り込まれたまま日本国憲法は現在に至ります。
ところで、この武装放棄がどれほど現実にそぐわないものなのか、かつての同盟国ドイツ、イタリアがすでに軍を保有していることからその異常性は際立ちます。しかも、ヨーロッパの戦火は太平洋地域の戦争に比べれは全く比較にならないほど悲惨なものでした、にもかかわらずヨーロッパの同盟国は武装が許されています。つまりヨーロッパの常識では自国の軍隊を保有させないということは、その国の存亡を危うくさせるという認識になるからです。
さらにこれほど異質な環境に日本をしてしまったのは、国民の責任でもあります。つまり、これまで国民が政治にたいしてあまりにも無関心だったということです。その点では私も今更ですが大いに反省しているところです。これまで政治など私は、庶民にとって愚痴のはけ口としか考えていませんでした、結局政治は学識のある立派な方がするものだと思っていたからです。
ところが、憲法改正だけに限ってみても、改憲は一体いつ行われるのでしょうか、昨年の参議院選でも改憲派が3分の2以上の議席をとっていたはずですが、改憲の審議が進んでいるようには感じられません。かつての日本では海外との不平等条約をたった30年ほどで解消させました、それほど当時の政治家は志が高かったということなのでしょうか。それではその高い志とはどのような環境で生まれてくるものなのでしょうか。
私がこれほど執拗に改憲を訴えるのは、今日本が直面している諸問題の原因がすべて現行の日本国憲法に有ると思えるからです。現在の諸問題といえば、食料や経済、少子化や教育など様々ありますが、そのいずれも根本的な原因を探れば探るほどその原因はここに行き着きます。中でも深刻なのは、現代の日本人が日本人としての誇りを持てないことにあります。その結果は精神を病んでしまったり、自分を殺めてしまう結果になっています。
それでは、憲法の何が日本人の誇りを傷つけるのでしょうか、そのことを国民に強く意識させているのが憲法9条です。これによって日本国は交戦権を放棄したとされています。これが世界的にどれほど外れていることなのか、今の日本人は考えることすらできません。自分を自分の力で守ることを永遠に放棄した、ということが海外では在り得ないと考えられるからです。ではなぜそうなったのか、答えは日本が戦争に負けたからです。
そのことを私が受けた義務教育では、日本がアジアに侵略戦争を仕掛けて敗北し、アジア諸国に多大なご迷惑をかけたと教えられました。とはいえ、私はこれのすべてを否定することはできませんが、私の学んだところとは相当な違いがあります。例えばアジアの国々と言っても、戦争当時のアジアには、国民がまともな自治権を持っていた国はタイ王国ぐらいしかありませんでした。それでは、日本は何と闘っていたのか、それはアジアの植民地を牛耳る帝国との戦争です。そうは言っても日本の傀儡と言われた満州国は日本の植民地ではないのかと思われるかもしれませんが、そもそも満州国を統治するのは、チャイナの語源となった清朝のラストエンペラー溥儀が、彼らの国が元々あった場所で新たな国を復興させたということなので、歴史的にもこれほど正統な王朝は珍しいほど立派な国でしたが、日本の後押しするこの国を当時の世界は認めませんでした、そのため満州国は現在歴史から完全に消えてしまいました、これが世界の歴史というものです。手立てを講じなければどれだけ巨大な権力もこうなります。
ところで日本にとって最もこの戦争の汚点とされるのが、南京でのホロコーストです。この件についても、いろんな見方がありますが、最も分かりやすい例が人口の推移を見ることです、私たちは人口が増えることは治安や経済が上手くいっている証拠と解釈しています。それではこの城塞都市の人口はといえば、日本軍が入城する前の人口は約20万人だったそうです。ところが日本軍が侵攻し残虐行為を繰り返した結果人口は30万人に膨らんだとされています。そんな数字は信じられないと言われるかもしれませんが、当時の南京はヨーロッパやアメリカの公的機関の役人が多数駐留していました、そのような環境でのデータですので人口が減ったとなれば理解できますが、逆に人口が増えているというのは、改ざんであるとは言いづらいのではないでしょうか。つまりこのことはその街の治安が日本軍の入城によって回復し以前よりも住み心地が良くなった証拠となるからです。
さらにそのことを裏付けるように街の風景を映した当時の映像フィルムからも分かります。そこでは、餅つきの風景や銃を持たない将兵が、那人の露店で買い物をする風景が映しだされていました。しかも日本兵を取り囲む子供たちや、カメラに向かって子供を差し出す人の姿も映し出されています。
このような映像を見て、これが近くで惨事が繰り返されている場所に見えるでしょうか、このような映像やデータはネットで、いくらでも見つけることが出来ます。確かに通州事件のように日本人によるアヘン製造が原因とされる事件もあったようですが、その規模からはとても一国を転覆させるほどの生産力があったとは思えません、にもかかわらずその常軌を逸した行為に当時の日本人はどれほど心を痛めていたでしょうか。
このような一見挑発ともとれる事件がその後の日華事変まで続きます、ここから窺えるのは盧溝橋事件が、たった一発の銃声から始またのではありません、事変が起きる以前から執拗な挑発が何度も繰り返されていたということです。なんだか今の社会情勢と似ていませんか、結果はその後日本は後戻りのできない戦争に突入していきます。
ところで、この戦争のために当時の大日本帝国は、大東亜共栄圏の遂行という戦争目的を掲げます。これは開戦の勅諭でも記されている五属共栄という考えに基づきます。それぞれの民族がそれぞれの土地で共に生きようということです。肌の違いや文化の違いはその人種と強く結びついています。つまり国が違えば言葉も文化も食事まで当然違いがあります。五属共栄というのはその違いを、お互いに尊重して共に生きようというものです。そこには絶対的価値などありません、食べ物の嗜好も、生まれた場所によって違って当たり前のことなのです。このような考えから人種差別の撤廃を国連に初めて訴えたのは日本でした。ところが結果は否決され、それを受けて日本は国際連盟を脱退することになります。
さて、武力を持つ国が、他国から労働力を得る方法が奴隷だとすれば、植民地支配は人も土地も一緒に手に入れてしまおうという大変合理的な方法で、欧米では国益を確保するための常識でした。誇り高い日本人はこのことにも憤ります。といえば大日本帝国も同罪でしょとなりそうですが、日本の統治は相手国の社会インフラを整備し大学まで設立しています。この日本の統治を植民地支配と言えるでしょうか、日本ではこのことを併合と呼んでいました。いずれ併合先の国が自立できるようにと考えそのリーダーを育成するための大学設立ですが、植民地とは利益だけを吸い取ればいい対象のはずです。つまり当時の日本は欧米列強と肩を並べるために帝国などという物騒な言い方を踏襲していますが、その内容を視れば、利益を吸い取るどころか五属共栄という理想に貫かれていたことが分かります。
さてこの大東亜共栄圏の実現のための大東亜戦争は、真珠案攻撃をもって太平洋戦争と言われるようになってしまいました。ではなぜこの大東亜戦争という呼称をGHQは避けたいのかといえば、私はそのことを上記の理由によるのではないかと思っています。つまり大東亜戦争という言葉にはアジアを欧米の植民地支配から解放するということが感じられるからです。そうだとすれば、日本は戦争に負けたのにもかかわらず、現在その目的は達成されたとも言えます。とはいえ日本が戦争に負けたと同時にアジアでの帝国支配が終わったと考えるは早計です。実は戦後も、支配者はアジアに戻って帝国支配を続けようとしていました。
私が幼い頃TVで放送されていたベトナム戦争もこのような帝国支配の再来と言えます。ところがそこに立ちはだかったのが、大東亜共栄圏の志を持った大日本帝国の将兵でした。彼らは戦争が終わっても現地に残り、大東亜共栄圏の遂行のため、アジア諸国の独立戦争を戦っていました。そのことがアジア各国の独立を成功させる手助けになったことは間違いありません。つまり大東亜共栄圏というスローガンは、戦争のためのプロパガンダや正当性のこじつけではありませんでした。
我々の祖先が本気で人種差別と向き合い、命懸けで取り組んだのが大東亜戦争です。そこから言えることは日本人が武力に慢心したり、自制心を失った結果、軍の暴走で起きた戦争ではないということです。さらに言えば戦争を起こす可能性が高いのは軍人よりもむしろ文民によるところが圧倒的に多いことも留意しなければならないことだと思います。
今の憲法では、武装や武力での紛争解決はどれほどのこじ付けをしても、認められるものではありません。しかしながらそれでは、国民の生命や財産、尊厳を守ることはできないというコンセンサスが、前回の参院選の結果だと思っています。その結果を政策に反映さないことは公約を反故にすることにほかなりません。そこで私が憲法改正に望むことは以下の2点です。
・国防軍の創設と国防の自立
・皇統の独立性を堅持すること
皇統の独立性とは皇室は民意などによらず、普遍的日本の象徴であるとすることが必要です。現在のような憲法の環境では、粗野なマスメディアによって皇室の尊厳を著しく傷つけられる危険性があります。皇室は古来より日本人が心の拠り所とする大切なところだからです。
さて、我々日本人はこれほど一点の曇りもない素晴らしい歴史を祖先より受け継いできました。現在に生きている我々の姿は、その祖先が望んだ希望でもあります。是非とも新しい憲法によって祖先の尊い願いが未来へと繋がってゆくことを願います。
※ 国軍を持つことは戦争に繋がるというロジックは、警察を持つと犯罪が起きるということとどう違うのか?
このロジック神やわ!