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令和 あくび指南

2024年9月7日gallery,ようこそ

2024年 6月13 訃報と再会

昨晩桂ざこば氏の訃報が届いた。私にとってはざこば氏となる以前の朝丸氏のイメージが強い。とはいえ、ざこば氏を襲名してはや36年が経つにもかかわらず最初に受けたインパクトはなかなか抜けるものではない。私が氏に持つイメージは正直落語家のイメージよりもバラエティー番組で活躍されていたイメージが強い。特に週末にお目にかかる機会が多かったので、私の中では至福のひと時を過ごさせてくれた個性の強いタレントさんというイメージなのだ。今思えば氏の芸風は、いわゆる上方落語に感じる立て板に水というような話し方ではなかった。むしろ、言葉に詰まるようにして語られる語り口は、関東の噺家に通じる芸風なのだ。だからこそ、地元関西でも関東でもその芸風が受け入れられたのではないだろうか。

ところで今から数週間前に中尾彬氏が亡くなっている。中尾彬氏と聞いて頭に浮かぶイメージは、偏光グラス越しに凄まれると縮み上がるほどの強面の印象だ。ところが、そんな風貌からは想像がつかないほど氏は、アートに対する繊細な感性を持っていた。ある日、氏が描かれた絵画作品を見て、それまで感じていた俳優のイメージをどうしてもそこに重ねることが出来なかった。そのあたりからマフラーのねじねじ姿を目にするようになったのだが、それでもあのねじねじはチャーミングな印象というよりは、「おんどりゃねじ巻いたろか」の印象なのである。

話は変わるが中尾彬氏といえば、たいへん噺家さんとは縁の深い方なのである。というのもオシドリ夫婦と呼ばれた池波志乃氏は落語の神様と言われる5代目古今亭志ん生のお孫さんで、そのお父さんが10代目金原亭馬生氏なのである。

因みに落語繋がりでいくと中尾彬氏と桂ざこば氏は、意外にもしっかりしたご縁がある。というのも桂ざこば氏といえばその前は桂朝丸と名乗られていた、実はこの名の由来は往年の名優長谷川一夫氏が使っていた前の芸名林長丸がヒントになったそうだなのだ。人間国宝師匠桂米朝氏によると、この名前の長を桂米朝氏の朝に置き換え桂朝丸と命名したというのだ。しかもこの長谷川一夫氏は中尾彬氏が憧れ真っ先に門を叩いた俳優さんだったという。今回私のブログで偶然お二方の追悼をすることになったが、それぞれ憧れの方がわざわざここでお二人を巡り合わせてくれたようにも感じる、お二人のご冥福をお祈りします。

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Posted by makotoazuma