新日本を護るために
2024年 11月2日 日本の不条理
11月1日毎日新聞の記事によると、Meiji Seika ファルマという製薬企画業の会社から、科学的根拠のない誹謗中傷を受けたとし、立憲民主党の原口一博議員が訴えられた。原口議員といえばこれまで、この問題に関し超党派の活動をしてきた議員だ。そのため心情的に左派、右派の枠を超えた支持を受けてきたのである。というのも原口議員の活動については自ら癌の宣告を受けたことにより、直近で受けていた予防接種との関連性を追求した結果、この予防接種には数々の疑念が残ることを訴えていた。つまりこの訴えは、国会議員の立場ばかりでなく被害者からの訴えという側面がある。
とはいえ、今回の選挙では、この運動ばかりでなく、これを推進した担当大臣の遊説先で直接被害者のリアルな訴えが起こっていた。このことは先の選挙戦中ユーチューブ動画ですでに多数拡散されていた。確かにこれを見ればこれほどの被害が起こりながら日本のマスコミが全く取り上げていないというのも異常なことのように感じる。要するに日本のマスコミとは一体何を目的に様々情報を配信しているのか訳が分からくなるのである。というのもこの問題は今回、降って湧いた問題ではなく、昨年1月の段階でも厚労省は「疾病・障害認定審査会」によるワクチン接種の被害状況を報告しているのだ。それによるとこの時すでに1万件以上の被害申請があり、この内5000件以上がワクチン接種による健康被害の認定を受けている。
年配の方であれば、このことをミドリ十字の薬害事件に重ねている方も少なくないだろう、この事件からすでに40年以上も経過しているのだが、この時はマスコミ全体がこの被害を放送で流し被害の深刻さを訴えていた。この時はTVを見れば朝から晩までこの話題一色だったように記憶している。とはいえこのような問題は、極めて専門性の高い問題であり、裁判の判決が出るまでには相当の時間を要している。問題はこのような訴えが出ているにもかかわらず、何らの抵抗もなく、この政策を継続することに問題はないかということなのだ。これまでの日本人の常識では赤信号は、周りの安全性が確認されたとしても渡らないのが常識だった。それほど安全意識が高いというのが日本人の常識になる。ところがここ最近の日本では目の前で多くの人が原因不明で亡くなっていても、或いは他人が急に車いすの状態になったとしてもまるで関心がない。
こればかりではない私が更に悲しく思うのは、これまで自分の利益を無視して我が政党のためにと命を張って取り組んできた活動が、よりにもよってその政党から非難されてしまうことだ。私がこのような仕打ちをあざとく思うのは、今回のことで言えば、このような活動はすでに選挙前から行われていたにも関わらず、何故ここまで対応が遅れたのかという事なのである。この時政党の方針と違うというのであれば、直ちにこの活動を止めて然るべきだったと思う。恐らく選挙前に、そのような態度の表明があれば選挙結果はもっと違ったものになっていただろうと私は思う。これにより少なくとも原口議員に賛同して投じられた立憲民主票は裏切られたことになるからだ。
このように日本の政界は日本国民に対し誠心誠意をもって取り組む議員に対し、とんでもない横槍を入れてくる。このことは、立憲民主党ばかりに限らず、あらゆる政党が今回の選挙で分裂を起こし迷走していることから、この背景にある問題の大きさが浮かんでくる。つまりこれに関してはマスメディアの影響が極めて大きいことがハッキリするのだ。例えば自民党議員の高市氏が応援演説に呼ばれ私費で、全国を飛び回っていたことに対し、マスメディアの記者が、高市議員の応援演説の甲斐がなかったとでも言いたげな心無い質問を向けていた。選挙中常識ある見識をお持ちの方々は、高市議員の行動を極めて精神性の高い純粋な行動と捉えていた。常識的に考えればこのような質問は選対委員長の責任を問う質問になるべきところが、この記者は何の責任もない一議員に向かって、無神経な質問を投げかけているところにジャーナリストとしてのモラルが問われるのである。
さてこの記事で一番の問題としたいのが、これまで、日本人は日本の安全や、繁栄を願う議員を自分たちの代表として国会に送り、その活躍を支持してきたと思っている。ところが現実を見れば、国民の安全や繁栄をむしろ蔑ろにしているような議員が次々当選を果たし、居座っている。どうすりゃいいのさ、この日本という気持ちで一杯になる。