新日本を護るために
2025年 12月29日 妄想
日頃妄想の中に暮らす私だが、国民の命を預かる立場での妄想はやめて欲しいと思う。先ほど覗いた読売新聞オンラインの記事に「日米両政府が初めて策定した拡大抑止に関するガイドライン(指針)に、有事の際の米国の核使用について日本と意思疎通するとの内容が盛り込まれたことがわかった。」という記事を見つけた。とはいえ、いまだ次期大統領との面談も叶わない日本政府が、相手国の国民の命を巻き込むことになるかもしれない核兵器使用の意思疎通など現実的と言えるのだろうか。しかもこの記事から読み取れるのは核の傘とは、要するに条約でも何でもないと言う事なのか。冷静に考えれば武力による威嚇を禁じている国が間接的ではあるにせよ核の報復を実行できるというのは現行の憲法には適さない考えだろう。
とはいえ核兵器は一度ボタンに手が掛かればどこで歯止めが掛かるのか誰にも想像のつかない代物で、たとえ自国のためとはいえその使用を決断すれば、自国が消滅してしまうどころか、全世界が消滅してしまうことにもなりかねないのである。こんなものを同盟国のためだからと言って実際に使用できるのかといえば常識的にはありえないと思うのが普通である。
実際ウクライナ戦争を見れば、すでに2年以上の歳月が過ぎ、双方で100万人にも及ぶ被害者が出ているにもかかわらず、いまだ世界最大の核保有国ロシアは一発として核兵器を使用していない。確かにこの戦争は核を保有するNATOとの代理戦争のようにも見えなくはないが、NATO加盟国でもないウクライナに何故ロシアは核兵器の使用をためらうのだろうか。しかも現在ではウクライナ軍はロシア領に侵攻しているにも拘らずだ。
結論を言えば核の傘で安心というのは妄想も甚だしいことだと思える。そうは言っても核兵器に対し日本はなす術がないのかといえば、そうでは無いだろう、日本には優れたレーザー兵器が完成しており、これを使えば今のミサイル防衛よりもはるかに高度な防衛システムが出来上がるはずだ。この配備を急げばどれほど高速のミサイルであっても、あるいは多弾頭の誘導弾であっても相手国上空で撃破することが可能になるのだ。
因みに、これまで日本は世界唯一の被爆国であるにもかかわらず、核兵器不拡散条約には加盟しているものの、核兵器禁止条約には加盟していない。
つまり日本は核兵器の存在が前提になる条約には加盟していながら、そもそも核兵器は禁止しましょうという条約には加盟していないのだ。これでは被爆地広島に各国首脳を招いても、或いはノーベル平和賞受賞の快挙も、結局のところ日本は困ったら核兵器に頼るだろうと受け取られかねないのである。このように世界に向けて恥をさらすよりも、日本はレーザー兵器の配備により、世界中の核兵器を無力化させ惹いては世界の核兵器廃絶に貢献することが出来るのではないだろうか。