G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

新 思考ラボ

2025年1月17日ようこそ

2025年 1月17日 新自由主義と民主主義

さきほど経営科学出版社から送られたメルマガを覗いたら、なるほどと思う動画があった。動画のタイトルは「世界を狂わせたグローバリズムの誕生の物語「第0章」」とあり短い動画だったが、現在トランプ次期大統領と対立する人達が今、何を考え、世界をどこへ向かわせようとしているのか、この動画では明快に述べられいる。

因みに今朝の経済番組でトランプ氏の半生を描いた映画が紹介されていたが、トランプ氏はこの映画を快く思っていないという。つまり、どこか偏ったところでもあるのだろうか、その点は表現の自由や個人の名誉にも関わることなので鑑賞者の判断に委ねられるだろう。とはいえ気になったのは、この映画の紹介の仕方で、断定的な表現は避けられているように見受けられるものの、やはり映画の制作者に対するインタビューではポピュリズム、独裁政治などの政治的キーワードを引き出したいのか盛んに誘い水を送っていたように感じた。

さてそのまま偶然視聴したワールドニュースはフランスの放送局から、フランスで砲撃訓練を受けるウクライナ兵が映し出された。そこでの彼らに対するインタビュー動画は特に印象的だった。というのも彼らが語った胸の内は、どうせこの戦争は勝てる見込みがないという、諦めが広がっているようだ。そのため召集された兵士の半分が脱走を試みるなど彼らの士気は落ちているというのだ。そしてそんな彼らは、この戦争の終結はアメリカの大統領次第なのだと思っているそうだ。私はすかさず自分たちの大統領次第ではないかと思ったが、これが彼らの正直な思いなのだろう。

つまり、前戦に送られるウクライナ兵士の命は、トランプ次期大統領が握っているということなのだろうか。それにしても世の中は何故これほど狂ってしまったのか、その答えが今日見た動画の中にあった。それは新自由主義思想というもので、確か以前の日本にも新自由クラブと称する政党があった。因みに新自由主義をウェキペディアで見てみるとその思想の目指すところは、財政規律、公共支出の優先順、税制改革、金融自由化、競争力のある為替相場、貿易自由化、資本自由化、国営企業の民営化、規制緩和、所有権法の確立とあり、これを見ればまるで日本の失われた30年を改めて辿るようなきがしてくる。つまりこの考えを一生懸命国の政策として実行することで日本の国力は衰退し、多くの国民が貧しくなったのではないだろうか。

さらにこの思想の行着くところを見てみれば「我々は市場にいる、競争すべきである」という考えに行着くのだそうだ。要するに人類は需要と供給という絶対的な市場において競争を勝ち残らなければならない存在ということになる。ではこの考えは人類が受け入れるべき正しい考えなのだろうか。このことについては、この考えを推進してきたEUの現状が全てを物語っているように感じる。

つまりかつてソビエト共産党のスターリンによる無理な農業政策がホロムドールを生み、ウクライナに悲惨な結果をもたらしてしまったように、無茶な政策は後世まで悲惨な傷跡を残す。そのことを象徴するようにEUの推し進める農業は、農家が自らトラクターでデモを起こさなければならないほど追い詰められている。さてここで不思議に思うのは自由という言葉と全体主義という言葉は、まるで真逆の意味を持つはずなのに何故か不思議に結びつく。それは何故かと言えば、自由という言葉には権威や秩序に対する否定が含まれ、ここから解放や革命という共産主義のもつ目標達成へのプロセスと絡み合ってしまう。つまり文明の歴史と繋がるこれらの権威や秩序さえも新自由主義思想は絶対的市場というリングにこれらの権威を引きづり込むことによって、それに伴うこれまでの権威を失墜させ、そこでの競争だけが全ての価値を決める基準になるのである。

そしてここまで、この思想が世界中に普及してしまったのは、このような経済的勝者だけを彼らの世界に取り込むことで、そこで出会った参加者達はこのような虚構を信じて疑わなくなってしまった。しかもこのようなよくできた洗脳は、この思想によるリーダーを産み続け、世界中でこの思想に疑いを持つ人はいなくなってしまったのではないだろうか。

ところが最近このような世界的マルチ商法はとうとうその限界を迎え馬脚を現してしまったのだ。このことはこれまで情報を一手に牛耳るマスメディアが、近年のSNSの普及により、その秘匿性が維持できなくってしまった為に、とうとう世界中でこれによる社会の歪みが隠しきれなくなってしまったのではないだろうか。

とはいえ本来マスメディアは人類の敵ではなく人類の目や口となる存在のはずだ。その点アルジャジーラという放送局は、スポンサーにさえ阿ることなく公平性を保っているという。報道しない自由と言う前に、社会に必要とされるジャーナリズム本来の復活を望みたい。

 

 

ようこそ

Posted by makotoazuma