新 思考ラボ
2025年 1月22日 選手宣誓もダメなのか
昨日の大統領就任式でイーロンマスク氏が演説中、右手を斜め前に差し出す行為が、ナチス式の敬礼のように見えると非難されている。とはいえ私のような昔の日本人からすれば、清々しい夏の風物詩高校野球の選手宣誓を思い出す。ところがヨーロッパでは、このようなことをすれば、いまだにナチスのレッテルを張られてしまうのだ。しかもそのような風潮は記憶が薄れるどころか、80年過ぎた今もますます強まってきているようだ。なのでトランプ支持者の中にもあの行為を見て血の気が引く思いをした人は少なくないだろう。
とはいえそのような事をイーロンマスク氏が何ら考慮せず、あのようなパフォーマンスに及んだとは考えずらい。私はあのパフォーマンスは明確な意志に基づいて行われた抗議行動だと想像している。というのもマスク氏の視点からすれば、EUの衰退はまさにこのナチスの亡霊とも呼べるレッテル張りによると考えているのではないだろうか。要するにいまのEU世界では移民政策に反対する人は、すべてナチズムやファシズムの信奉者となってしまうのである。
しかしながらそのような社会的制裁を受けても、今のヨーロッパ各国の状況は不満を抑えることが出来ないのである。さてこのような議論で最も注意しなければならないのは、移民反対と言ってもこの場合は不法な移民の反対と言う事で、これにより現在のアメリカ、ヨーロッパでは犯罪組織が不法移民に関わっていると見られていることだ。これにより薬物や殺人など凶悪犯罪がEU各国で急激に増えきた。このような国の管理が行き届かない集団が組織化されれば、やがて組織はどこからか武器を手に入れ武装組織化してしまう。こうなってしまうと国がこれをコントロールすることは極めて困難な状態になる。因みにこのような状況を経験したアルゼンチンのミレイ大統領やエルサドバドバドルのナジブブケレ大統領が国家元首としてこの式典に招待されていることは、これらのことをなによりも象徴しているといえないだろうか。
またこのことに関して今停戦中のイスラエルでは、世界最新鋭の装備を誇るイスラエル軍が、周辺国に散らばる武装組織に対し1年3か月もの間戦闘を繰り返してきた。そして停戦後その巻き添えとなったパレスチナ人の居住地は見るも無残で胸が詰まる思いがする。それにしてもこれはTVすらなかった時代のホロコーストではなく、世界中がこの有様をいつでも視聴可能な現代において起こった出来事なのだ。ようするにこのことは国家の概念が曖昧な民族は、これから先もホロコーストは繰り返される可能性があるという警鐘ではないのだろうか。
しかも極めて残念なことに、このホロコーストはヒトラーやナチスという特殊な思想の持ち主が起こした悲劇ではなく、80年前の被害者が加害者となったという極めて救いがたい事件なのである。これについてもう少し深堀するとナチスが誕生した時代世界中のほとんどが、ドイツの奇跡的な経済復興を目にして称賛を送っていた。というのも莫大な戦後賠償を負いながら世界恐慌に喘ぎ、とうとう倒れた馬車馬にまで群がって飢えをしのいでいたドイツが、何故あれ程早く経済復興を遂げ、ヨーロッパを席巻するほどの軍事大国になったのかを考えれば、このにヒントに行き当たる。
その答えこそアメリカだったのではないだろうか、興味深いことにウェキペディアによると1939年のヒトラーはアメリカ号という軍用列車に乗って戦線をめぐり軍の指揮を執っていたそうだ。ある識者によるとこれはアメリカの西部開拓にヒントがあると言っているが、私は膨大な資金を提供してくれたアメリカ富裕層に対する感謝だったように思っている。因みにこの車両は日本の参戦と共に改名されたそうだ。
つまり戦争というものは、国と国の単なる利権争いで起こるというよりも、そうなるまでには思想の分断やそれにともなう敵愾心を煽ることまで含めある程度の起爆剤を準備する必要があるのだろう。そのためには大衆に考える隙を与えず分かり易いレッテル張りをすることが最も効果的な戦争の起爆剤になるのだろう。
恐ろしいことに、このようなレッテル張りを多くの人が恐れるようになることで、街中で凶悪な犯罪が蔓延していても市民はそのことに目を閉じ、自分の意見を口に出来さなくなってしまうのだ。昨日のイーロンマスク氏による不可解な行動は、このような無意識に刷り込まれる言論統制への抗議行動だったのではないだろうか