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日々これ切実

2025年7月29日ようこそ

2025年 5月31日 超国宝を伝える日本人

先日の日曜美術館で奈良国立博物館で開催されている「超国宝祈りのかがやき」展が紹介されていた。その内容を見れば自分の肉眼を通した体験として記憶しておきたい展示物ばかりで訪れることの出来れば、忘れられない体験ができるはずだ。というのも最初に照会されていた百済観音など、私は教科書では何度も目にしている仏像なのに、その印象は直立不動の素朴な佛像でしかなかった。ところが実際に東京の博物館で見た印象は柔和な表情で軽やかに直立する姿に、頭から包み込まれているような親しみを覚えた。さらに今回はこれに加えギリシャ彫刻を思わせる天燈鬼立像や憧れの運慶作大日如来坐像、飛鳥時代の菩薩半跏像という垂涎の仏像が展示されている。

とはいえ学芸員の方も仰っていたが、このような遺物が実生活の中から伝えられていることは世界的にとても珍しいことなのだという。では何故このような奇跡が起こっり得たのかといえば、私は日本の歴史を今日まで繋いでいる皇統との関りに違いないと思っている。というのも今ネットでは日本の歴史について様々な考察や情報が伝えられているが、我々が教科書で覚えた者とは、その厚みにかなりの開きを感じる。中でもそのことを印象深く感じたのは古墳時代の七支刀という刀の展示だ。

恐らくこの形を視て有望な武器とは誰も考えないだろう。では誰が何のためにこれを造ったのかと思いを巡らせば、私には、これが刀の形よりメノラーという七本の枝のある燭台に見えてならない。だとすればこれを造ったのはユダヤに関係のある人達なのだろうか、亡くなられた田中英道先生に聞いてみたい気がする。もしそうだとすれば、これを造ろうとした人たちは、三種の神器にある剣の姿にメノラーのイメージを偲ばせていたとは考えられないだろうか。こんなことを想像してしまうのも、我々日本人の歴史にはまだまだ表に出ていない、想像もできないほど厚みのある歴史が隠されているように感じてしまうのだ。因みにこの展示で不思議に思うのは、こればかりではなく筋肉隆隆の天燈鬼立像なども、アジアにおける美術品とは異質な印象を受ける。というのも、これほどリアルに拘る彫像はアジア文化圏には珍しく、秦の始皇帝が創らせた兵馬俑まで遡って、ようやくこれに並ぶリアルな肉体表現に出会うことが出来る。因みにその先を辿ればアレキサンダー大王のヘレニズム文化にまで行着いてしまうのだから際限がない。何を言いたいのかといえば、我が国の文化は、このような人類の歴史と現実がリンクする世界に稀な文化を持っていると言う事だ。

つまりこのような奇跡が成り立つのは国民と天皇の関係性によって成り立つ奇跡と言える。さらに言えばこのことを陰で支えてきた背景には日本の言葉に込められている神聖な思いや、万世一系に象徴される戸籍の継承にある。そればかりかこの世の平和と繁栄を我々が享受できる道として古代神道には、人間のあるべき社会秩序や心のあり方までも伝えられているという。そこには、はっきりと男女の役割の違いが示されていて、平和の道とは、この違いを認めお互い足りない所を補い合うことが、社会の平和や繁栄に繋がるといわれている。しかしながら現在では、宗教や政治を使って私腹を肥やそうとする輩が蔓延り、いまではこれらの信頼はすっかり地に落とされてしまった。本来人類の幸福のためにあるべき宗教や政治が彼らの非道により、そこに至る道を閉ざされてしまっているのだ。まずはこのような間違った先導者から我々国民は急いで距離を置くべきではないだろうか。

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Posted by makotoazuma