続 盾つく虫も好き好き
2026年 5月11日 護憲主義

日本国憲法第20条には政教の分離が明確に記載されている。
- 第二十条
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- 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。(ウェキペディアより)
一見どれも当たり前のように思うが、現実世界ではこの解釈にも色々齟齬がみられる。例えば1項にある政治上の権力行使とは何に対して訴えているのだろうか。この条文では個人の信仰の自由は保障されていて、これにより宗教団体が政治家を擁立したり推薦することは禁じられていない。とはいえ特定の宗教を信じる政治家が政治に携わる場合、当然この政治家は自身の思う正義を政治に反映させようとするはずで、自信の宗教がその行為の基準となることは充分予測できる。さらにこの条文で禁じているのは宗教団体が特別待遇を受けることや権力の行使を禁じるものだが、宗教団体が国権を揮うというのはそもそも現実的にあり得ないのでこの点もやはり改正が必要だろう。
次に2項についてだが、これについて国の成り立ちを考えれば、国家の成り立ちには歴史的に宗教が関わる事例が多い。その傾向は歴史の古い国ほど顕著である。つまり、歴史の最も古い日本においてその傾向は顕著なのだ。また国事行為といえば日本においては、天皇の「しらす国」という意味合いが大きい。そのことは神代から伝えられる記述にも示されており、そのような経緯を知れば皇統を頂く日本にとってこのような記述は全くそぐわないのである。このようなことから3項にある国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならないという条文も、日本国自体を否定しかねない大変な危険を孕んでいると言いたくなる。というのもこれにより、日本は宗教に繋がるあらゆる行為が否定されてしまうからだ。その結果、日本国民は自分たちを神代から繋がる国民であるという認識に立つことが出来なくなっているのである。そのため日本国民は、せっかくこの世に生を受けても、唯物論的視点でしか自分達の価値を見出すことが出来なくなり、希望を失った若者が自ら命を絶つという悲劇が後を絶たないのである。このような悲劇を繰り返さない為にも宗教活動を教育や国政から排除するのではなく、それにより公共の福祉に反する行為が生じた場合にこれを厳しく断罪すべきではないだろうか。これを間違え信教の自由だからと言って宗教団体の不法行為まで、法の支配の外に置いたことがオーム真理教などの悲劇をもたらしたように思える。
つまりこれまで、憲法について議論の対象にしなかったこと自体、逆にカルト教団体による不法行為の温床になっていたことになる。要するにこのような悲劇は、日本に蔓延る護憲主義による怠慢が起こした事件とは言えないだろうか。