彼岸旅行
私は前後上下の動きを警戒していたが、斜めの動きには無警戒だった。牛にしてみれば角に何か違和感を感じているのか、突然首を八の字に振り出したのだ。予想以上の揺れに私は意識を失いそうになった。イトを見ると頭を丸めながら必死で私にしがみ付いていた。
良かった、イトにはまだ意識がある、もしもこの状態でイトが意識を失ってしまうと、私の力では支えることが出きないだろう。そんなことになれば、狭い角の中で人間カクテルになってしまう。などと考えている間に牛がまたいなないた「まずい」と思った瞬間、私は思わず声に出して叫んでいだ、「止まれ」すると牛の動きが止まった。「よしよし」私は、心の中でつぶやいた。イトを見ると、目を閉じてすっかり固まってしまっているようだ。
気づき
私は、呟くように牛に話しかけた「そのまま、首を振らずに前へ進みなさい」果たして牛は、私の云う通りそっと歩き出した。私はほっとした、このくらいの揺れなら何とか耐えられそうだ。それにしても、牛が私の云うことを素直に聞いたのか、まったくの偶然なのかその時は判断がつかなかった。もし私の声が牛に聞こえていたとしても、言葉を理解できたしたとは考えにくい。早速、私は試してみたくなった。私は声に出さずに、心の中で叫んでみた。「止まれ」牛はぴたりと動きを止めた。なるほど、これがテレパシーというものか、私はこの手の知識に疎かったが言葉を交わさずに意思疎通できることをテレパシーということぐらいは知っていた。またその力は距離がどれほど離れていても、お互いの言語を理解していなくても通じ合えることも知っていた。
「やはりこの世界は、自分の思いを簡単に具現化できるようだ。」そう理解すると自然と自分の顔が、ほころぶのがわかった。「先ほどのナイフの件といい、いま目の前で牛が私の云うことに従うことと言い、私はきっと夢を見ながら目覚めているのかもしれない。それにしてもなんと生々しい夢なのか」私はイトのほうを見ると、イトは目を見開き虚ろな眼で目の前を見据えている。どうやら、一生懸命この状況を理解しようと試みているようだった。「大丈夫かい」私がイトに声を掛けるとイトは弱々しく頷いた。私はイトを励ますつもりで「イトは、強い子だね」と声をかけてみた。イトはその言葉に気を良くしたのか、顔に生気がもどったようだった。そのままイトは四つ這いになって、光が差し込む覗き穴から外をうかがった、私もイトに倣った。
外の景色は、今までとほとんど変わらず牛は緩い坂を徐々に登っているようだった。私は牛が自分の言うことに素直に従ったことを確認できたので、少し冒険をしてみたくなっていた。気が大きくなった私はイトに尋ねた。「これから、何が見たい」ほどなくイトの答えが返ってきた「滝が見たい」私は意外な答えに耳を疑った。そしてもう一度聞き返した。「どこに行ってみたいの」するとまた「滝が見たい」イトから同じ答えが返ってきた。何故か私はその答えに納得できずに、しつこく聞き返した「どうして滝が見たいの。」返ってきた答えは「どうしても」だった。これでも4つの子供には精いっぱいの返答だっただろう。それにしても私にはこの答えが、イトの年には似つかわしくない答えのように思えて仕方がなかった。きっとこの答えはイトにとっての何か特別な思いがあったに違いない、その疑問はすこぶる私の好奇心をくすぐっていた。