思考ラボ
2023年 11/13 横ノリの関西、縦ノリの関東
先週の朝ドラを見てふとそんなことを思った。というのも笠置シズ子をモデルにした「ブギウギ」を見ながらそんなことが頭に浮かんできたからだ。場面は服部良一を思わせる草彅剛氏が主役の趣里氏にJAZZとは何かを伝える場面だ、言葉では伝わらないと思った羽鳥はスズ子に何度もダメ出しを出す。それにスズ子は自己の開放をもってブギウギの表現につなげた。
とはいえそれが可能だったのは大阪という土壌が深くかかわっていたのではないかという私の勝手な想像だ。何を言いたいのかといえば私は以前上方の落語と江戸の落語はノリが違うと述べたことがある。その時は関西の落語は前のめりで関東は間の文化だと言った。さらに関西は立て板に水のように淀みなく話が進むのに対して、関東は寄せては返す波のようだとも感じている。さて今回のJAZZの表現と関西のノリは相性がいいのではないかというのが今日の私の思いだ。というのもドラマの時代背景でもてはやされていたJAZZといえばビッグバンドのスイングジャズだ。「スウィングしなけりゃ意味ないよ」などと言われるがこのスウィングを伝えようとすると難しい、昔ウィントンマルサリスがこのことを首の振り方で教えていた。「JAZZのノリは首を横に振るんだ」と言っていた。それに対してクラシックやロックのリズムは縦に刻まれる。
これを動きの様子で表すとクラシックやロックは縦回転、JAZZは横回転だ、自然界に例えると寄せては返す浜辺の波とさらさらと淀みない小川の流れが浮かんでくる。しかもJAZZには自分のパートをアピールする展開がある、これを無理やり電車を待つ列に例えると、列に対して自然に横から流れに乗ってくるのもJAZZの心が身についている関西人ならではなのかもしれない。さすが大阪支局なのである。
ところでこの番組に対するスタッフの情熱には並外れた意気込みを感じる。それは特に舞台でのダンスの場面は、これがドラマのワンシーンなのかと思えるほど素晴らしい。とても演技という表現の捉え方を超えてしまっているのだ。
以前私は「異動辞令は音楽隊」という映画の凄さを紹介したが、今回のドラマは当事の第一線で活躍していたプロのダンサーを表現しているのだが、ドラマで演じられたラインダンスは完全に当時のクオリティーを超えている。これは私の想像だがこのような展開になったのも主役の趣里氏の演技にドラマのクオリティーを合わせている内にこうなってしまったということなのではないだろうか。それほど舞台のラストを飾る彼女の歌と踊りはあのシーンを魅了していた。ドラマ上の舞台のはずだがラストの拍手は演技の拍手というより、あのシーンが本物の舞台として成立していたように私は感じた。