独立自尊 奥の細道
ほっこりする奥の細道
涼しさを我が宿にして寝まるなり
這出よかいやが下のひきの声
眉掃きを俤(おもかげ)にして紅粉の花
いずれの句も山形県尾花沢を訪れた時の句です。芭蕉はこの村の名士鈴木清風の元を訪れます。
清風と芭蕉は旧知の俳諧仲間で芭蕉よりも年は若いのですが談林の元で共に学んだ仲間です。また清風は紅花を商いとしているのですが、その商いでも京都で伝説となるような商人でした。
芭蕉は、この尾花沢で異例の10日ほど滞在しています。
ところで、これまで奥の細道と義経の関りについて述べてきましたが、ここへきてとうとうその縁も切れたかと思っていました。句の内容もどこかふんわりとして、いろいろ思いを巡らさなければ楽しめない風でもありません。
最初の涼しさをという句も気の知れた豪商の住まいで歓待され、気兼ねなく畳にねまる芭蕉を容易に想像できます。わたしはこの涼しさという言葉にも隠れた意味が有ると思っていましたが、義経との関わりが無ければただの邪推にすぎません。
少々ガッカリしていたところで、この鈴木清風という方は鈴木重家の子孫だということを発見しました。
この鈴木重家とは義経が藤原泰衡の軍に囲まれた衣川の戦いで、最後まで義経と共に戦った10騎の内の一人です。このような流れをくむ豪商の家で男づれの長旅にいろいろ配慮してもらい、芭蕉は相当ご満悦だったと想像できます。
ところで、いまでもこの尾花沢一帯は銀山温泉として賑わっていますが、その昔は遊郭も盛んだったようです。何かしらの接待が有っても全然おかしくありません。この清風は紅花を京都で売りさばき伝説となった男です。しかも儲けたお金は3日間も吉原を貸し切り遊女に休みを与えたという方です。一体芭蕉がどんな歓待を受けたのか想像もできません。
さて、ここで詠んだ句の「這出よ」の句ですがここに登場するヒキガエルの声とは、昔から恋心を意味することがあるようです。
だとすれば、芭蕉の心の奥深くに潜んでしまった恋心に芭蕉は語り掛けたのでしょうか。「這出でよ」
で次の句です「眉掃きをおもかげにして紅粉の花」とは何を意味する句なのか、私はこの三つの句の中で一番解釈が難しく、一番大きな意味を持つ句だと思っています。
ではまた私の解釈です。今回はとても艶っぽくなります。まずは眉掃ですが字のごとく刷毛なのですが、普通眉毛を書くのは黒い墨のはずです。ところがこの句の結びは紅粉の花です。墨はどこにも出てきません、しかも面影とは何なのか、面影とはその対象を視ることによって、思い起こさせる何かが浮かび上がってくることを言います。
しかたがないので舞妓さんの化粧の様子をYouTubeで見たのですが、驚きました。そこでは眉を描く下地に紅を刷毛で塗って下地にしていました。つまり眉の面影は紅粉の下地のことを表現していたのではないでしょうか、もしそうだとすれば、芭蕉は女性の化粧の流れを1から知っていたことになります。また、どのような女性もこのような化粧をするのかといえば一般的ではないようです。
因みに紅粉をネットで検索するとある特殊な生業の女性が出てきます。気になる方はやってみてください中国映画のタイトルのようです。
さていったい、芭蕉はこのような特殊な化粧方法をどのようにして知ることになったのでしょうか。私の妄想では、芭蕉は女性の横で化粧の様子を窺っていたのではないでしょうか。
今回の記事は如何でしょう、心がほっこり、ポカポカしませんか?