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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

深川から千住へ

「行く春や鳥啼き魚の目は涙」この句も奥の細道の分かりづらい句ではないかと思います。なんと2トップで分かりづらい句が並んでいます。きっと奥の細道の世界へ踏み込みづらくしている要因の一つではないかと思います。

一般的にこの句は過ぎ去る春と旅によって別れなければならない近親者への惜別の思いを詠った句と解釈されています。ところで、この句にある魚の目に涙とは何の事でしょう。魚の目が日の光を反射して涙のように見えた。これも普段聞く例えではないように感じます。きっと芭蕉オリジナルの例えでしょうか、一般人では理解に苦しみます。

そこで、私なりの想像をめぐらしてみました。すると芭蕉のプロフィールに芭蕉は剃髪して臨済宗の老師から悟りを得たことを認められたと有りました。臨済宗といえば、白隠禅師を中興の祖とする宗派です。その白隠禅師の記した座禅和讃に「水の中に居て喝を叫ぶがごとくなり」という言葉が有ります。これは喝の叫びが表に現れてこないことを例えているのだと思いますが、この表現を借りれば、水の中の魚が涙を浮かべていても水の中では表に現れてくることは無いのだという解釈は出来ないでしょうか。俗な言い方をすれば、「顔で笑って心で泣いて」芭蕉の置かれている状況はまさにこのようで、愛する仲間に別れを告げて寂寥感に苛まれながらも、自分に付き添ってくれている曾良の前ではうかつに涙を見せることを憚ったのではないかと思います。

深川から舟に乗り千住へ向かう途中、やがて夏の訪れを感じさせるように山の緑も深まり、鳥が空いっぱいに鳴声を響かせている、その声を聴きながら弟子の前では気丈にふるまう芭蕉が、川面に目を移すと魚がこともなげにゆうゆうと泳いでいく、「この魚がたとえ目に泪を浮かべていようともだれも気付くことはないのだ」芭蕉の切ない思いが伝わってきます。