独立自尊 奥の細道
暑き日を海に入れたり最上川
奥の細道の記事を描こうと思ったのはこのようなビジュアル的な句が沢山出てくるのではないかと勝手に思っていたためです。この思いは初めっから間違っていました。想像の翼を広げなければ一歩も前に進めないという意地だけが頼りの投稿で、皆さんの購読履歴が原動力です。
あつみ山や吹浦かけて夕涼み
この句も大変悩ましい句でした。涼しさという言葉、そしてどのような情景を頭に浮かべて詠んだ歌かイメージがつかめません。
この句に出てくる名詞はあつみ山と吹浦ですが、この2点は距離にして40キロほど離れています。時系列でみると象潟からの帰り道に詠んだ歌ではないかと思われますが。このあたりを訪れた時の天気は雨で、遠くにあつみ山が見えたとしても霞んでいて詠嘆の切れ字で終わるほどの心象はもてないのではないかと思います。
或いは別な日にあつみ山に登って夕涼みをしていたのでしょうか、曾良の日記にはそのような記録がありません。
ということでいつもの私の想像が始まります。曾良の日記を見ていると気になる記述がありました。それが6月の27日の記述で日記にはこの日、芭蕉は一人で馬に乗り鼠が関を訪れたと有ります。この鼠が関とは勧進帳のもう一つの舞台ではないかという言い伝えがあります。
恐らくそのため芭蕉は、どうしてもそこを訪れたかったのではないかと思いました。不思議なのは曾良の日記には芭蕉がそこで何をしていたのか記録されていないことです、また、義経についての記述もほとんどありません。
ちなみに勧進帳と言えば一般的には安宅関が通説になっています。芭蕉はこのあときっちりそこを訪れます。
ということで、この句にある涼しさは勧進帳の舞台に掛けているのではないかと思います。また馬に乗った芭蕉は鼠が関を訪れた後、曾良と合流するため温海に戻ることに成ります。この時目の前には標高736メートルの温海山が迫ります、そこへ向かって芭蕉は吹浦を目指し、馬でかけていたのではないでしょうか。