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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

あかあかと日は面難も秋の風

なんとエモーショナルな歌なんでしょうか。そしてとてもビジュアル的です。私はこういうイメージの世界が勝手に奥の細道の世界だと決め込んでいたようです。ところが実際、この投稿を始めてみるとその思いは無残に打ち砕かれました。句から情景が浮かんでくるどころか、句の意味さへ私は理解に苦しみました。

さてこの句から受ける最初の印象は、とにかく真っ先に寂しさを感じました。枕にある赤い日を私は夕日と解釈していますが、もちろん朝日の解釈もできます。ただこの句が表現している意味を考えると夕日が合うのではないかと考えています。

ではその思いはどんなものだったのでしょうか、あかあかと日はの次に来る「つれなくも」の比喩から、私はこのつれないという言葉を冷淡であるという意味に解釈しました。ならば、お日様は誰に対してつれないのかと言えば、芭蕉に対して冷淡だと言っているのではないでしょうか。

つまり、芭蕉は、太陽が冷淡なほど確実に沈んでいくことをつれないと表現しています。裏を返せは「太陽よいつまでも沈まないでくれ」と言っているようです。さてすでに悟りを得たはずの芭蕉は、日が沈みゆくことを何故これほど寂しく感じているのでしょうか。私はそこから、人間としての芭蕉を感じています。そんな無茶な自分の願いを芭蕉は次の言葉で戒めています。「秋の風」この言葉は門弟の追善供養に詠まれた「塚も動け我泣く声は秋の風」にも使われ、私はこの言葉に「生者必滅会者定離」という経典からの引用を感じています。そのことによって、芭蕉の心の中に寂しさと切なさが影を落とし、あやうく感情に押し流されそうになっている。そんな芭蕉の心の中を澄み渡る秋風が粛々と渡ってゆく、そんな思いを重ねて芭蕉は自分を諭すように秋の風と詠んだのではないでしょうか。

さて奥の細道もいよいよ佳境に入ってきましたが、私の頭の中ではとんでもないラストになっています。次回は覚悟して投稿します。