独立自尊 奥の細道
石山の石より白し秋の風
さてこの句はどこで詠まれた句なのか、奥の細道のルートからすると小松市にある那谷寺ではないかと言われる。この寺には奇岩遊仙境という奇岩のそそり立つ名勝地もある。そしてこの辺りは白山信仰の巡礼者も行きかう場所に位置している。この句にある白しとはそんな神聖な地を渡る秋風のことを詠んだ句ではないかというものだ。
奥の細道を旅の紀行文と考えればもっともな解釈なのだが、私の勝手な解釈はこれでは収まらなかった、これまで秋の風とは生者必滅会者定離、芭蕉の揺れ動く心の戒めとした言葉と解釈してきたので、今回で3回目の登場となる「秋の風」の解釈は、この解釈を受け入れたとすれば、ここで覆ることになる。それでは此れまでお付き合い頂いた読者の方にも申し訳が立たないと思う次第だ。
ところでこの句についてネットで検索すると、この句には2つの寺が引っかかってくる、それではもう一つの寺とはどこかというと石山寺と言ってやはり、硅灰石の天然記念物が境内にある。地理的に滋賀県の琵琶湖のほとりではあるが、かなり京都に近いところに寺がある。そのためか、この寺には日本史を代表するような歴史があり、中でも私が注目したのは源氏物語を記した紫式部とのつながりだ。私はここにこの句に詠まれる白しの意味が込められているのではないかと思っている。
いわずと知れた紫式部は世界最古ともいわれる長編小説を記した天才である。その博識は漢文漢詩の世界にも造詣が深かく白氏文集にも通じていたようだ。特に白居易の詩は、物語の源氏が詠んだ歌に多く取り入れらている。また、源氏の歌の中でも「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」という歌は白という文字が歌に使われているのだが、そうでなくとも、夕顔の花を頭に思い描くと真っ先に思い浮かぶのが白い花ではないだろうか。くしくもこの寺では夕顔祭りという特別な行事が行われ、その縁の深さにも特別なものが感じられる。
さて、源氏物語の夕顔の段の特徴は、身分を超えた夢のようにはかない恋だ。特にこの段は光源氏が夕顔を一夜にして失ってしまった寂寥感に読む者は誘われてしまう。もし、芭蕉が意図してこの段についての思い入れをこの句に重ねて詠んでいたとすれば、この句にある秋の風とはやはり芭蕉のはかない恋を失った悲しみに対する戒めではないだろうか。