独立自尊 奥の細道
田一枚植えて立ち去る柳かな
この句がこれほど難解な句とは思いませんでした。一時はあきらめの力押し解釈で締めようと思ったのですが今朝ほど偶然理解の糸口を見つけ投稿します。さて、この田一枚から始まる謎の句、田一枚とはどのような意味でしょうか、俳句は何度も推敲を重ねて完成します。先日のニュースで奥の細道を記した芭蕉直筆原本が見つかったと有りました。そこでは70回にもわたる書き直しの後がみられたそうです。やはり俳句には芭蕉のそうとうな思いが込められていて、一字一句つぶさに読んでいかなければ芭蕉が残そうとした思いは伝わらないと思います。
では先ほどの田一枚の解釈ですが、まずこの句を詠んだのは芦野の里から福島県の白河あたりに差し掛かった時の詩で、この地方でも田植えの時期には田植え祭りが行われるそうです。
祭りでは田植えを、この時期までに終えるようにとの意味が込められ神事用に田を一枚残しその神田を、早乙女と呼ばれる乙女たちが神楽に合わせてひと束づつ苗を植えていきます。
その時の衣装が茜襷に菅の傘と言われる茶摘みの歌にあるような、いで立ちです。また菅笠に花を飾る地方もあるようで、うら若き乙女が一斉に田植えをするさまは、とても華やかに感じられたのではないでしょうか。
ところで那須野の里には西行法師が、その下で詩を詠んだと言われる游行の柳というものがあるそうです。おそらく芭蕉もその柳の下で西行に思いを馳せていたのだと思いますが、実際そこで田植えがあったのかどうか分かりません、その柳の下で西行が感じた漂泊の思いと田植え祭りの華やかな様子を対比させ、早乙女たちが立ち去った後の無常感を西行の休んだ柳に込めたのではないかと思います。