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令和 あくび指南

2024年12月10日gallery,ようこそ

2024年 1月7日 業は生きることの肯定

落語は業の肯定と立川談志の手拭いには書いてあった。ところがたまに、この言葉を聞いて悪業も肯定するのかと怒りだす方がいる。なので私はこの言葉を今は業は生きることの肯定と勝手に解釈している。

因みにこの業という言葉の熟語に「なりわい」という言葉がある。漢字で書くと生業とかく一般的に「なりわい」といえば家業などの仕事のことを意味するが、はつくにしらすすめらみことである崇神天皇が崇神記ではなりわいについて天下の大きなる本なりと記されている。つまり災害を避け五穀豊穣を祈る言葉でもある。

とはいえ我々庶民の生活とは悲しいほどの不条理に満ちている、善だけによることも出来ず、悪だけによることもできない。世間にもまれている間は自分の立ち位置さえ定かではない。そんな不安定な日頃の生活を芝居や落語は改めて自分の立ち位置を俯瞰してみる切っ掛けを与えてくれる。

さて今年は元日の午前中から五街道雲助一門が年初の番組を賑わせていた。そこでは池波志乃さんが古今亭 志ん生の孫であると紹介されていて、五街道氏との縁談話も語られていたが、人間国宝が後でねじを巻かれるのではと心配になった。

ところで今年初の落語研究会も5日に放送になったが、残念ながら、ご時世もありお祝いムードの演出はなかった。そのかわり五街道雲助氏のお囃子箱根八里は柳亭市馬氏のお囃子福島の吾妻八景と繋がった。次に高座に上がったのは市馬の弟子柳亭小燕枝氏は枕に小唄ならぬ歌謡曲まつのき小唄をねじ込み市馬一門をアピールする、ひょっとして落語の稽古ばかりではなく歌の稽古もあるのだろうか。さて今回の放送で一番驚いたのは、トリを務める三遊亭兼好氏の生きている小平治だった。最初は居残り佐平治をもじった新作かと思ったが、6代目三遊亭円生が百物語の小幡小平治という怪談から作ったものらしい。

それにしても正月から怪談というのも異例なことだが、噺が上手いとそんなこともすぐに忘れて噺の世界に引き込まれてしまう。とはいえ落語の楽しみは言葉の巧みさは勿論のことだが、そればかりではない仕草の芸も落語の大きな楽しみになるからだ。とくにこの噺では冒頭釣り船から釣り糸を垂らす場面が出てくる、この場面は釣り竿にまかれた糸をほどきながら糸が水に落ちるまでを手振りと目配りだけで表現するのだが、こういう仕草の上手い人は、きっと野ざらしなどの噺もうまいのだろうなと楽しみになってくる。そして私がさらに驚いたのは、釣り船の櫓をこぐ丁寧な仕草だった。その上櫓がきしむ擬音までリアルに再現されていては落語の楽しみもここに極まるというものだ。

話をタイトルに戻すと人間が生きるという行為は、そこに一時的な善悪の評価が出来たとしてもそれがすべてにはならない。というのも生きている間の我々は、どちらか一方の状態に留まることは許されないからだ。何故ならこちら側の思う善はあちら側にとっての悪になるかもしれないからだ。結局我々に最初から備わっている業とは2元的な選択ができるのではなく、むしろ生きたいという純粋な思いより他ないのではないかと思う。

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Posted by makotoazuma