新日本を護るために
2024年 10月15日 戦争は何故無くならないのか?
世界中戦争が繰り返されるたびに、このような疑問が湧いてくる。過去の歴史を振り返れば恐らく人類は呆れるほどこの思いを繰り返してきたに違いない。これはつまり逃れられない人類の性のようにも感じてしまう。
裏を返せば、この問題を認めないことは、現実に目を背けてしまうことに違いない。結局平和な時代と言えども争いの芽が生まれてこない日はないのだ。ではこの争いは何故生まれるのか、私はこれを議論の放棄によると思っている。つまり議論の成立させるためには、お互いの立場を理解しその隙間を埋める行為が議論ではないかと思えるのだ。さらにその議論が成立する場として大切なのは共通の価値観というものだろう。具体的に言えば、命はすべての最優先であるという考え方と、目的達成のためには多少の犠牲も止むをえないという2つの価値観が存在する。
こんなことを議論で解決することは不可能に近いことかもしれない、というのも世間の知識人による討論の様子を見ても、討論が成立していない場面をよく目にするからだ。何故そのような破綻が起こるかと言えば、それは論者が相手の主張をまったく無視した行為による。このような人は相手の主張に関係なく自分の主張を繰り返すことをする。それはまるで討論の相手が存在していないかのような振る舞いをすることだ。さてこれにより討論の相手は、平常心を失い、かなり暴力的な言葉使いが増えてくる。つまりこれが議論の放棄というものの表れだろう。これを国家レベルの外交に置き換えると話し合いの外交から武力による戦争という状態に至ることになる。
ところで、今朝のニュースでウクライナの大統領が、戦場で北朝鮮の兵隊がこの戦争に参加しているのではないかとの指摘をしていた。何故今更このような非難をしているのか、その真意は分からないがNATOによる軍事支援の呼びかけではないかともとれる。とはいえロシアと北朝鮮はすでに軍事同盟を結んだことを宣言しており、北朝鮮の兵がロシアの戦線にいたとしても全く不思議ではない。それよりも北朝鮮との紛争がもし東アジアで起これば、必ずロシアも参戦することになるということだ。それではこの場合、どちら側に有利なのかといえば、当然陸続きで兵站が出来るロシア、北朝鮮同盟軍が優位になる。やはり今更ではあるがこのようなことになる前にロシアとの国交を正常化させ北朝鮮との同盟関係を阻止すべきであったのだが、前政府のNATO一辺倒の政策によりすでにその機会も失われてしまった。このような失策を現政権は更に引き継ぐと公言しているので、北方領土の問題や食糧の安全保障も現政権はさらさら眼中にないと公言しているように感じる。
このままではアメリカの選挙結果で、東アジアの有事は現実のものになりかねない。そして有事になるとすればどう考えても日本にとっては厳しい結果にならざるを得ない。何故戦争は無くならないのか?それは価値観の共有できない人々が存在するからであり、それを避けるためには住み分けによって二つの考え方が重ならないようにするしかない。