新日本を護るために
2024年 10月17日 財政健全化とは?
収入と支出のバランスが狂うと家計であろうが企業であろうが立ち行かなくなることに異論はない。ところが国の政策になると何故かこんな議論に両極の答えが出てくる。
それではなぜこのような意見が出てくるのか今日はその背景を探ってみたい。さて財政を健全化するためには、収入に見合う支出にすれば、わざわざこんな議論をしなくても良いはずなのだが、この予算には政府の意向というものがどうしても反映してくる。
だからこそ毎年毎年政府が提出する予算に対し見直しや新たな支出を考えましょうというのが国会議員の大切な仕事だ。ところでその予算を国会に提出するのは最大議席をもつ与党の代表ということになる。このためつまり総理大臣が財政健全化に取り組み見ましょうといえば、支出を抑えて収入に合わせるか、それでもだめなら増税という必然的な流れになってしまう。
ところで国の収入と言えば税収であることは間違いないが、それ以外あるとすれば国の資産を売却することや、資産の運用ということもありえる。ところで、この収入については特別会計で国民にとっては国会であまり取り上げられないので馴染みがない。具体的に、年金の運用などは、その資金を運用により現在では莫大な利益を上げているはずだが、これがニュースになって騒がれるのは運用に含み損が発生した時だけだろう。それより日頃話題になるのは少子化や雇用の不安定化で保険料収入が危ういなどの不安を煽る話題が何故か目に付く。
さてこのようなごく当たり前のことにもかかわらず現在も財政健全化に異議を唱える人達が多い。それは何故かと言うと国の経済状態をどのような視点でとらえているかによる。例えば今日の日本経済に大変な危機感を持って捉えている論者の場合、財政健全化の前に景気循環を健全化せよという考えになり。そのことは日本経済が正常な景気循環に至っていないと判断するからだ。と言うのも現在のように極端な貧富の差が生まれる経済はその循環には淀みがある証拠になるからだ。むかし日本には貧困は存在しないといわれていたが、あの当時にユニセフの募金に日本の子供たちが登場してくるなど誰も想像すらしていなかったのだ。
しかも実際のところ、30年もの間日本経済は停滞していたと言いながら、その間も日本のGDPは僅かながらも着実に増えていたのである。そのため数字の上では現在の日本には当時の倍以上の資産が存在していることになっている。
ところで、私の持つお金の定義は、価値を担保することの出来る優秀なツールというものである。問題はこの価値をどのように担保するかで一昔前までは金がその役割を担っていた。ところが金の量は限られるため、今度は原油がそれに続く根拠となった。そのため先頃までは石油を手に入れるためにはどうしてもUSドルが必要になり、あらゆる国がドルを求めた。これによりアメリカの債券は無尽蔵の需要を抱えることが出来た。
ところが、ウクライナ戦争以降基軸通貨ドルの信用が急激に揺らいでしまったのだ。この理由についてはロシアへの過度な経済制裁によるものと考えられている。このような状況で現在かろうじてUSドルの価値が担保できているのは、我が国の円がその価値を支えているからに他ならない。と言うのも日本と共にドルを支えてきた中国は、すでにブリックスへその軸足を移している。
とはいえ、日本経済を支えてきたのは昔から人材こそがこの国の経済を支えてきたと考えられてきた。その人材がアジアの中で比べても最も冷遇されている状態で本末転倒も極まるのである。つまり日本経済の活性化は人材の活性化に他ならない、その為にも人材が活躍できる環境を整えることが、円の価値を高め安定した景気循環を創造することになる。
結局円の価値を担保するということは、その円を流通させる市場を創り出すことであり、そのためには内需を活性化させることが必要で、このように考えれば、政府の収支よりも、家計の収支を優先させる必要があることは今現在の日本の経済状況を見れば急務と言える。世界的にUSドルの価値が揺らいでしまった以上、まずは国内での円の需要を高め安定した市場経済を確立することが日本経済の優先課題となる。さらに言えば為替における問題は、エネルギー資源を含めこんごどれだけこれらの資源を国内で賄えるかにかかっている。あわせて日本の工業製品が世界市場において唯一無二の価値を保てることが円の価値を担保することに繋がっている。つまりこれを見据えた政策が前政権において高市議員が取り組んできた経済安全保障の取り組みであり、セキュリティークリアランスという防衛政策なのである。このような日本経済復活の希望である政策を放り投げ現政権は一体日本経済をどこに導こうとしているのかはなはだ疑問に思うところだ。
結局、経済対策といえばいつも給付金が登場してくるが、それは政策と言うより、方向性の定まらない一時の気休めでしかない。こんなことより国民が政治家に望むのは将来に希望の持てる持続可能な生活スタイルの構築であり、それに必要な財政支出ではないだろうか。ようするに国民が政治家に求めるのはそれを達成に導く実行力と、それに対する明確なビジョンなのであって、帳簿の正確な記載など初めから期待していない。